研究1年目は全国水平社創立期における日本社会の被差別部落(民)認識について、当時の代表的な人類学者である鳥居龍蔵をはじめとする知識人の著述に即して分析した。 鳥居は東アジアをはじめとした国外調査に赴き、膨大な報告書を残したことで知られるが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、数次にわたり日本各地で人類学的手法を用いた被差別部落民調査を実施している。この事実は、その後、鳥居の関心が当該テーマから離れたこともあり、従来は一つのエピソードとしてしか知られてこなかった。しかし研究の結果、当該期に鳥居が精力的に行った被差別部落民の調査研究は、当時の知識人の被差別部落民についての認識に大きな影響をおよぼしていることが判明した。 また鳥居の影響を受けた知識人の代表的事例として、喜田貞吉と佐野学の著述とその足跡について調査を進めた。まず後者については、創立期の全国水平社の活動家たちと積極的に交流をもち、彼らの部落問題認識や社会運動論にも多大な影響を与えている。また前者は、一九二〇年代後半には中央融和事業協会が推し進める「啓蒙教化」活動をつうじて社会全般に宣伝され、戦時期には日本社会における「公定的」な部落問題理解の地位を獲得するに至っている。 両者(喜田と佐野)の被差別部落(民)認識は、とくに「人種」説への賛否などをめぐり、大きく相違している。しかし鳥居の調査研究を踏まえ、当該期の社会進化論を摂取することで独自の部落問題論や日本社会の将来像を描いた点など、共通する点も多いと考えられる。そこで研究2年目においては、両者の部落問題論の差異に加えて、両者に共通する側面についても考察を進める。また昭和戦前期において、次第に前者の部落問題理解が優勢となってゆく過程、およびそれが近現代の日本社会において有した意味について分析を進める予定である。
|