本研究の目的は、戦後教育におけるナショナリズムの位相をあえて政策主体たる政府・文部省ではなく、それとは対抗関係にあった進歩的教育学者に即して明らかにすることにあった。その際、昭和戦中期からの歴史的系譜を重視する点に本研究の特色をおいた。最終年度である第3年次に設定した課題、およびその成果は以下の通りである。 第1の課題として掲げたのは、1960年代分析として、保革対立期に進歩的教育学者が創設した「国民教育研究所」なる組織に着目して、戦中期以来の彼等におけるナショナリズムの帰着点を見ようとするものであった。その際、焦点となるのは戦中期の政府が掲げた「国民教育」なるタームを、戦後、反体制側に位置するはずの彼等進歩派があえて看板として掲げたことの意味であった。この課題に対し、本研究ではその着想が歴史学者の上原専禄によるものであったことをまずつきとめ、上原が主導となって創設した「国民教育研究所」の原史料を、日本教育会館教育図書館に確認することに成功した。刊行された史料については昨年度までに収集・分析をほぼ完了させていたが、今回、大量の未公開の原史料に接することで、作業工程の再検討を余儀なくされた。ともあれ、原史料に接したのは本研究が初めてであり、その紹介と詳細な分析は今後の課題としてすみやかに遂行したい。 次に第2の課題として掲げたのは、本研究のさらなる展開の端緒とすべく、進歩的教育学者と最も対抗関係にあり、「保守」と分類された哲学者・高山岩男の思想的軌跡を通じて、戦後教育とナショナリズムという問題の歴史的構造に迫るというものであった。本研究で明らかになったのは、実際の対抗関係とは裏腹に、高山もまた戦争末期の経験によって戦後思想・ナショナリズム論が規定されており、その点で、実のところ進歩派とかなりの共通性を持っていたこと、しかしそれゆえに両者の対立は激しくならざるを得なかったこと、などである。これについては論文1本として成果をまとめることが出来、以降の研究の足場を構築した。
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