今年度は、地域を構造化する社会的権力=ヘゲモニーを重視する視点から、近代大阪は、昭和2年(1927)の小学校学区廃止に至るまでは、学区ごとに社会的権力が分立する「複層的」な社会であり、それ以降はより上位のヘゲモニーの下に統合される「単一」の社会、すなわち現代社会へと転換するという見地に到達した。詳述すると、近代大阪は、かつて原田敬一氏が土着名望資産家となづけた地域有力者達がそれぞれ居住の学区を統合していたが、彼らのヘゲモニーは原則として他学区には及ばない。他学区や全市規模に波及させるためには、新聞メディアなど他の契機が必要となってくる。時として朝日・毎日などの大新聞やその社主が大阪市政上、重要な役割を果たす背景の一つにはそのような事情があると考えられる。 以上のような見地にたった上で、近代大阪をいくつかの段階に時期区分し、日露戦後の都市民衆騒擾期における警察社会事業の特徴とその限界をそれ以前の侠客慈善事業やそれ以後の方面委員制度などと比較しながら明らかにした。また、民衆騒擾期に社会事業の経験を一定蓄積し、方面委員にも任命された警察が、創設期の方面委員制度の普及・定着化に果たした役割について、調査方法の委員への指導、貧困世帯情報の委員への提供、制度普及講演会での貧困世帯への貯金奨励、貧困児童の積極的な組織化などの諸点から明らかにした。それと同時に、方面委員制度の理念的指導者である小河滋次郎の主張などを検討することを通じて、小河など大阪府当局者にとって、大阪府方面委員制度は警察社会事業の限界を克服するものとして想定されていたことを明らかにした。
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