今年度は、昭和10年(1935)から同16年までを中心に昭和戦前期における方面委員による方面活動について、特にこの時期に方面活動が町内会など各種の銃後団体の諸活動といかなる関係を有し、いかなる性格をあらたに付与されるのかなどに注目して検討した。方面委員制度解消論が唱えられるなかで、昭和15年に内務省・厚生省間の調整によって、各種銃後団体との併存・職務内容の調整がはかられたこと、その結果、方面委員には、戦力増強・軍需増強のための軍事援護事業や徴用援護事業への関与が義務づけられたこと、具体的には、従来の第一種・第二種カードの他に、所得税免税額以下の収入の世帯を把握するための「厚生票」と、戦・病死者の遺族、傷痍軍人の家庭等で援護を必要とする世帯を把握するための「名誉票」が新たに採用されたことなどが、明らかになった。 また、前年度に引き続き、大阪の地域支配と他地域との比較についても、大阪の地域支配の特異性・先駆性の内容を抽出していく作業に重点を置いて検討した。大阪における警察社会事業及び創設当初の大阪府方面委員制度は、部落対策事業としての性格が濃厚であること、大阪府方面委員制度は、岡山県の済世顧問制度や東京府の慈善協会救済委員制度などの他府県の同種制度と比較すると、日常の活動において民間の地域有力者の関与が強いこと、別言すれば、地域有力者の主体性を取り込む契機が大きいことなどを、明らかにした。 本研究は、近代大阪における地域支配構造の二段階再編(日露戦後と米騒動後)を前提にして進めてきたが、より長いタイムスパンで大阪の歴史を把握するためには、社会構造上の変革(日露戦後と昭和2年の学区制度廃止)を視野に入れる必要があることを認識した。支配構造と社会構造の相互関係を今後の課題として研究を進めていきたい。
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