本年度は、敦煌文献中の実用典籍として、近年、武田科学振興財団が公開した敦煌秘笈から「雑字一本」(文書番号:羽41R)という仮題がつけられた、紀年のない資料を研究対象として扱い、その表裏面のおよその書写年代を割り出すことにより、課題の主眼であった敦煌文献の「書写者」の姿にせまった(論文名:「敦煌秘笈「雑字一本」考-「雑字」からみた帰義軍期の社会」)。 結論から述べれば「雑字一本」は帰義軍節度使の張承奉政権期(894~910)に書写された官吏のための識字手本またはその手本を写したものであり、その背面は具注暦日の下書きとして二次利用されたものであって、西暦965年と978年の暦日の一部である。 この内容分析と観察をふまえ、紙の利用過程を推測していくと、料紙はまず張承奉政権期に官吏になるため敦煌で文字を学んだ者によって一次利用され、その後、960年代から970年代にかけての時期に具注暦日について知識を持つ者によって二次利用された可能性が高い。この一次および二次利用の期間は敦煌の具注暦日の大家として知られた〓奉達の修行時期と活躍の晩年にほぼ重なるものである。 ただし、この資料の筆跡は既知の〓奉達のものとは異なるので、彼とほぼ同年代の暦日家またはその弟子が師匠と同世代の者の使用した古紙を利用し、暦日計算の下書きに利用したものと推論を示した。 また別の助成を受けた成果であるが関連業績として、「『新修本草』序例の研究-敦煌秘笈本の検討を中心に」(『杏雨』第14巻、pp.292~319、2011年6月)を発表した。ここでは「本草」(文書番号:羽40R)という仮題のつけられた紀年のない資料を扱い、開元十一年(723)以降に『新修本草』面が書写され、その後、898年の暦日の下書きとして2次利用されていたものという見解を示した。 本年度は、以上のように、敦煌文献の実用典籍を歴史学的に論じるために不可欠である年代比定をおこない、新出文献の書写年代をおおよそ絞り込むことで、所期の目的を達成することができた。
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