研究概要 |
本研究では,マンチュリア(ほぼ旧満洲・現中国東北部を指す)という地域並びにその一部を示すような地域呼称や地域概念が,清代において如何なる用語によって表現されていたかについて検討し,それらの用語が地域概念として転化していくその時期的過程を確認することを目的の一つとしてきたが,最終年度の本年度は,これまでの諸作業を踏まえ,その目的を達成することに努めた。 具体的には,前年度に引き続き,既刊の諸史料(実録や地方志・梢案類その他)のなかから,清代マンチュリアを指す地域呼称・地域概念となる「東三省」その他の語を抽出し,その文脈・用法・意味づけなどにも配慮しつつ,それら内容の確認と分析を行なった。さらに本年度は,前年度から進めてきた,清初から18世紀に至る時期の「東三省」その他の語の抽出・分析というその作業を踏まえ,『清実録』のなかの「東三省」の語とその用例・用法について概観しつつ,その用例・用法に垣間見える清代マンチュリアという地域の社会的・歴史的特徴,並びに18世紀清朝のマンチュリアに対する認識・政策などについて若干の検討を試みた。この成果の一部は,「『清実録』のなかの「東三省」の語とその用例・用法-18世紀清朝の対マンチュリア認識との関わりにも触れながら-」と題する小文として発表した。 なお,諸史料のなかにみえる19世紀以降の「東三省」の語の用例・用法と,そこに垣間見えるマンチュリアの地域的特徴や清朝の対マンチュリア認識の変化などについては,本年度に発表した小文に続く別稿の作成を予定している。この別稿のなかでも,18世紀から19世紀末に至る清朝の対マンチュリア諸政策,当該地域の社会・経済変動などに触れつつ,清代後半期のマンチュリアにおける歴史的変動の意義を解明することをあらためて試みたいと考えている。
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