本研究では主に、清代のマンチュリアを指す地域呼称(特に「東三省」の語)を含む記事を清代諸史料から抽出し、それらの用法とその時期的変遷に関する確認・分析を行なった。その結果、以下のことが明らかになった。1)清代前期には、清朝は基本的に「東三省」の語を領域的・空間的な概念を示すものとしてではなく、ある特定の人的集団を指す語として用いていた。2) 19世紀に入る頃からは徐々に、「東三省」の語が領域的・空間的な意味合いを含む語としても次第に用いられつつあった。3)マンチュリアという地域に対する清朝やその官僚の認識は基本的に、三将軍の管轄区域それぞれを基本的な枠組みとするものであったが、19世紀に入ると、その上位概念として「東三省」という地域概念も形成され始めていった。
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