平成24年度に実施した研究の成果は、これまでの研究成果に基づき、19世紀後半から20世紀前半のオランダ植民地時代におけるバンテン地域が、なぜ反乱や民族主義運動の中心地となったのか、住民は何を求めてそれらの運動に参加したのかを農村の階層構造や農業生産力との関連で考察したことである。 第一次世界大戦末期、船腹不足による海上輸送の停止や大規模な凶作、スペイン風邪大流行により、ゴムや砂糖などの輸出向け商品作物の栽培に特化した地域では大きな打撃を受けた。しかし現地向けの米やココヤシの栽培が盛んなバンテンでは、これらの影響は大きくなく、北部ではバタヴィアやランプンなどの周辺地域へ米が移出され、一貫して米の余剰地域であったこと、またランプンへコショウ収穫期に大量のバンテン人が出稼ぎに行くことで、まとまった現金収入を得る機会があったことなどが明らかになった。 植民地政府から見た場合、バンテンは経済的に重要な地域ではなかったが、そのぶん上からの介入は少なく、比較的豊かな土地持ちの中には、メッカ巡礼に行く経済的余裕があった者が多かったと考えられる。こうした層が、自分たちの要求を上に伝える際の仲介として、民族主義運動や農民反乱などの機会を利用したと考えられる。 これらの研究を進めるために、オランダの国立総文書館やオランダ国立民族研究所(KITLV)、インドネシアの国立文書館や国立図書館、インドネシア銀行(旧ジャワ銀行)で、当時の新聞や雑誌の記事、調査報告書等を収集した他、現在も調査を継続中である。またこれらの成果の一部を、海外の雑誌に論文として発表する準備を進めている。
|