本研究の目的は、ヨーロッパ近世における「学環」の成立を、最初の近代地図帳とよばれるオルテリウス『世界の舞台』(Theatrum Orbis Terrarum)の各版および関連資料を収集し分析することによりあきらかにすることであった。そのさい学環とは、出版を通じた知的エリートのコミュニティと社会とのあいだでのオープンなコミュニケーションを指す。さて、昨年度までに収集した資料の分析から、同書に掲載された地図のうち、およそ9割が他の製作者にかかる地図をほとんど改変なしに利用したもので、参照された地図製作者は183名であったことが判明した。オルテリウスは膨大な数の地図のなかから、より正確なものを選び出した。すなわち『世界の舞台』とは、既存地図の体系化によって世界を再構成したものであり、引用元を明確にすることで、学術コミュニケーションのオープン化を図ったものであった。今年度は引き続き海外調査を中心とする収集と分析を進め、同書の版数とその収録地図数を確定し、増補改訂の傾向をあきらかにすることができた。 具体的には、1570年初版から1598年(オルテリウス没年)までに5次の増補がおこなわれ、ラテン語13版、独語、仏語、スペイン語各5版、オランダ語4版、伊語2版、英語1版を出版した。そこに掲載された地図はイタリア人104名、ドイツ人92名、スペイン人45名、フランス人39名、ネーデルランド出身者26名、ブリテン人9名、その他6名から採用されており、まさしく国際的な学識者のコミュニティを体現していた。また、同書は明代の中国、天正時代の日本にももたらされ、地図製作等に活用された。さらに、5次の増補を地図上にプロットすることで、この「体系化」から地域間の階層序列化というもうひとつの傾向があきらかになった。増加した地図の大半はとくに西ヨーロッパの地方図であり、その他の地域、アジア、アメリカ、アフリカ等は取り残された。つまりグローバル化の進む世界認識のなかでヨーロッパ地域は圧倒的密度をもって登場し、『世界の舞台』はそのように「語られる」原拠となったのである。
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