本研究の目的は、先の戦争で大規模な被害を受けた日本の各都市が、戦後、連合軍が進駐し、事実上、米軍の占領下に入るという特異な条件のもとで、いかにして都市の再建・復興を成し遂げたのか、そしてその過程に米軍がどのように介在したのかを分析し、当時の都市建設・復興(都市再建)に固有の理念と空間的な論理を地理学的な観点から明らかにすることである。今年度は、最終年度にあたるため、前年度の成果を踏まえつつ、主として沖縄を対象とした資料収集・調査を行ない、理論的な側面を実証する成果をいくつか得ることができた。 まず、別記する理論的成果として、H・ルフェーブルの空間概念にもとづく議論を発表し、戦後沖縄の都市復興に際して著しい特徴を示した市場と歓楽街の関係に関して、理論的な展望を開くことができた。また、前年度までは那覇を中心とした研究に終始していたものの、より幅広い地政的ないし地理歴史的な文脈、すなわち軍事基地建設期の沖縄という全体性を踏まえた研究へと展開するべく、宜野湾市・沖縄市の調査を進めると同時に、基地とは直接的に関係なく都市が形成された地域にも着目し、都市形成の歴史地理を考察した。その結果として明らかになったのは、那覇の都市建設における首都的性格という特異性と、米軍統治下という状況に固有の形成過程という二つの側面があることである。すなわち、首都であるがゆえに空間管理の徹底を旨とする都市計画と、人口流入という社会的趨勢に応じた、なかば自然発生的な市街地形成とがところによってはモザイク状に入り組み、現在の景観を成り立たせている過程を浮き彫りにすることができた。
|