明治期の漆器や挽物の産地では、木工ろくろの改良が進行した。改良ろくろのうち他産地に、広域的に普及したのは、会津漆器産地の鈴木式ろくろと山中漆器産地の「山中式」ろくろである。明治30年に特許を取得した鈴木式ろくろの担い手は、在地の木地屋集団であった。このろくろは、木地の量産化を可能にしたが、その普及には多くの困難を伴った。 「山中式」ろくろの普及をみると、専門のろくろ製造業者が存在したこと、優れた技能を保持する職人が産地間を移動したことが明らかとなった。また、博覧会や共進会での受賞歴は、彼らの技能を保証し、ろくろの普及の一要因となった。
|