今年度は、近世前期(17世紀~18世紀前期)の日本において、中国のテクスト『棠陰比事』等の翻訳・翻案を通じて出現した、一連の裁判小説に見られる民事裁判関係の記述に着目し、日中のテクストの比較分析を主たる手掛りとして、とりわけ日本側のテクストの背後にある社会構造を明らかにすることを試みた。宋代の官僚桂万栄が編纂した『棠陰比事』は、裁判を行う地方行政官等になり得る読書人層を対象とした裁判手引書であるが、「刑事」事例が中心で、相続や売買といった「民事」事例は僅かしか含んでいない。これに対し、近世前期の裁判小説では、概ね事例の半数近くを「民事」関係が占めており、その中には『棠陰比事』の影響が明白に見られるものもあるが、話の核心部分や設定の枠組は大きく異なっている。こうした相違・改変には、これらの裁判小説を生み出した、上方都市の町人社会の構造が深く関わっていると考えられる。例えば、「民事」事例に描かれた相続の手続や親族の関与のあり方は、当時の京都や大坂で出された町触等の法令の内容や、文芸作品から窺える上方の町人社会の慣行に、基本的に合致しているといえる。また、「民事」事例に顕著な特徴として、「十人組」や「町中」等の町人間の地縁共同体が頻繁に現れることが挙げられ、民事紛争の解決に資する基盤として、これらが重視されていたことが窺える。こうした地縁共同体は、町人の自治を支え、権力に対抗的に働いてきた町人間の横の連帯を、権力が巧みに支配機構に取り込もうとしたものといえ、二面的な性格を持つ。この二面性は、裁判小説のみならず、これにやや遅れて成立した近松門左衛門の浄瑠璃にも現れており、そこでは、町人の共同体が次第に深く支配機構に組み込まれてゆき、構成員個人を追い詰めてゆく様相と、それに対する抵抗とが、朝幕関係や国際関係とも繋がる、より大きな文脈において、鋭く描き出されていることも明らかになった。
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