2年目にあたる今年度は、近世前期(17世紀~18世紀前期)のテクストに特徴的な、「民事裁判」への強い関心の背後にある社会構造について、初年度よりも踏み込んで多角的に解明することを試みた。具体的には、「民事裁判」と結びついて現れることの多い「町」(通りを挟んで両側に店を出す商工業者の地縁的・自治的共同体)をはじめとする町人の地縁的共同体に着目し、井原西鶴の『本朝桜陰比事』に代表される裁判小説や京都所司代板倉勝重・重宗父子の裁判記録とされる『板倉政要』を手掛りに、町をめぐる意識構造およびその「民事裁判」との関係を分析する一方、裁判小説の主たる舞台でもあった京都の町について、町触や町規則等の法制史料を用いつつ考察した。その結果、町には、権力に対抗する町人間の自発的・自治的共同体という面と支配機構の一部という面があり、この両面の間の関係やバランスの変化が、町と裁判官との関係や裁判のあり方、構成員の経済活動に対する町の信用供与機能等に影響を及ぼしていたことが明らかになった。また、町の前者の面とこれを尊重する裁判とを支える意識の形成に、当時庶民の文芸として広く流行した連句(俳諧の連歌)が関わっているのではないか、という見通しを得た。なぜなら、「民事裁判」と町に強い関心を示す裁判小説の作者が、いずれも俳人と推測されている上、付合の形式により一つの文芸を構成する連句は、他人の句を生かすことによって自らの句も生かすという形の協調関係を作り上げる要素を持っており、談林派の俳人であった西鶴が裁判小説において描き出す、相互扶助的でフラットな共同体としての町のイメージは、連句の座の性格と共通する。さらに、18世紀半ば以降、「民事裁判」への関心が急速に低下するのに先立って、連句が一気に衰退し、京都の町が大きな構造変化を遂げることも、連句と町と「民事裁判」の構造的連関を示していると考えられるからである。
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