研究課題
若手研究(B)
政党内閣論者から挙国一致内閣論者へという五・一五事件後の「転向」にも拘らず、美濃部達吉は一貫して「立憲政治」論者であった。とはいえ、そこに言う「立憲政治」は国民による国家意思形成を意味するものではなく、むしろその基礎には「国体」概念があった。そのことと、美濃部の「立憲政治」が五・一五事件以降、彼が強力な挙国一致内閣を求め、そのために国策審議会構想を唱えるに至ったこととの関係が、今後の課題である。
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北大法学論集 61巻4号
ページ: 193-248
国家学会雑誌 122巻9・10号
ページ: 114-175
法学会雑誌 50巻1号
ページ: 165-190