平成21年度には、1880年代中盤から1890年代中盤までの時期における中国から朝鮮への国際関係に関する知識・情報のルートの存在とその特徴を明確にするための研究を行った。日本国内と韓国(ソウル大学奎章閣韓国学研究院、国立中央図書館など)及び中国(上海図書館、香港大学図書館、香港政府档案処など)における資料調査に基づいた結果、以下のような成果を収めた。 1. 1880年代中盤から1890年代中盤までの時期において、朝鮮側が王室を中心に主に中国を経由して積極的に海外情報を収集していたことが確認できた。この結果は、この時期における近代に対する理解の努力を見逃すか、それとも、亡命者を中心とした民間の動きだけに焦点を当ててきたこれまでの研究へ新しい知見をもたらすものと評価できよう。 2. 1880年代中盤から1890年代中盤までの時期における中国から朝鮮への知識・情報の伝播過程における閔泳翊の役割についても調査を行った。閔泳翊自身が残した記録はほとんどないので、亡命前の彼の思想や行動に関する尹致昊、金玉均、フォーク(G.Foulk)などの記録や上海亡命期に親しく交流した呉昌碩の閔泳翊に関する記録、また、集玉齋図書内容などに基づいて彼の役割について追跡してきた。当時、閔泳翊が頻繁に朝鮮を訪問した形跡、そして潤沢な宮廷の資金の存在、また、上海を中心とする中国の出版のネットワークへのつながりの追跡など相当な進展があったが、さらに詰める必要があるので、アメリカのナショナル・アーカイブなどの資料をも利用しながら引き続き調査を行う予定である。
|