中国の歴史教育は、1949年の建国以降、一貫して国内外の政治環境によって大きく影響される傾向が指摘されている。そこで、本研究では、中国政府が制定している歴史科目の教育方針を詳細に記載している1949年から2004年までの『教学大綱』(日本の学習指導要領に相当)についての分析を試みた。中国側の研究協力者の協力を得て、北京市、上海市及び浙江省でフィールドワーク調査を4度実施した。また、『教学大綱』に基づいて、建国後60年間に各地で作成された歴史科の教科書(小学校~高校)を収集Lた。本研究のフィールドワーク調査、収集した研究資料について、研究補助者の協力を得ながら、統計処理を行い、データベース化作業を実施しだ。これらの研究資料を分析した結果は以下の通りである。 (1) 建国初期の中国における歴史教育の特徴は、毛沢東が発動した独自の革命理論である「継続革命論」によって、政治闘争と連動しながら、それに大きく影響されたことである。しかし1978年の改革・開放政策によって、中国国内では階級闘争があまり強調されなくなった。 (2) 中国の愛国主義教育は、建国後の歴史教育の中で、一貫して強調されてきた事項である。愛すべき対象は、「祖国・人民」(1950年)から、「中国共産党、社会主義祖国」(1956年)、「中国共産党、毛沢墓と祖国」(1963年)、「共産党、無産階級の革命指導者、人民、祖国」(1978年)、「共産党、人民、祖国」(1980年)、「社会主義祖国、社会主義事葉、共産党」(1986年)「悠久な歴史、文化を有する偉大な中国、中華民族、中国共産党と社会主義」(1991年)という過程を辿って変化した。2000年以降では、「愛国主義教育を薄め、国際社会との共存を強調する教育」が施行されるようになった。 (3) 中国の歴史教育における主要敵国は、1950年代の「米帝国主義を中心とする侵略陣営」から、1960年代の「米帝国主義とその追随国」に変わり、1978年から1980年代の「社会帝国主義のソ連と資本帝国主義の米国」、1990年代の「帝国主義列強の資本主義国家」へと変化した。主要敵国に関する記述が削除されたのは、2000年代に入ってからである。
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