研究概要 |
1954年のベトナム南北分断以降、1959年にベトナム労働党はそれまでの政治闘争を主要な手段として南北統一を目指す路線から、武力闘争も併用する方針へと大きな路線転換を行なった。武力闘争を行なうにあたって、重視されたのが、北ベトナムから南ベトナムへの補給をどのように行なうのかであった。 従来の研究では、北ベトナムから南ベトナムへの軍事物資、軍事要員の補給や移動は、チュオンソン(アンナン)山脈内のルート、いわゆるホーチミンルートを経由して行なわれてきたとされている。そして多くの研究がホーチミンルートの重要性を指摘している。しかしこのホーチミンルート以外にもいくつかのルートで、北ベトナムから南ベトナムへの補給や移動が行なわれていたことも知られていた。 今年度は、ベトナム人研究者の故ダン・フォンが執筆した著書『5つのホーチミンルート』(知識出版社、2008年)[Dang Phong,5 duong mon Ho chi Minh(NXB Tri Thuc,2008)]に注目した。この著書では、従来のチュオンソン山脈ルートを狭義のホーチミンルートと呼び、このチュオンソン山脈ルート以外にも、(1)最終的には中越国境から南ベトナムへとつなげられたガソリンのパイプライン、(2)空路および海路を使用した第三国経由の移動ルート、(3)全世界の金融機関からの送金網、(4)南シナ海を行く海上ルートの4つについて体系的な記述を行なっていて、これまでほとんど知られていなかった補給ルートについて言及されている。この著書に記述されているルートの裏付けを、他の資料によって裏付ける作業を行った。 同時に、ベトナムが南北に分断されていた北緯17度線付近のホーチミンルートの実地調査も行った。
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