平成23年度は、平成21年度および22年度に行った資料蒐集を踏まえて、その成果の発表を中心に行った。『化学史研究』に掲載された論文では、碍子国産化の様子を電信用碍子・高圧碍子・特別高圧碍子(多層ピン碍子)・特別高庄碍子(懸垂碍子)の4段階に区分すると共に、その第4段階が猪苗代水力電気による猪苗代湖から東京までへの長距離送電という点に重要性があることを強調した。従来は、単純なキャッチアップであると思われていたものが、外国人技術者に日本企業がだまされることで、より急ぐ形で輸入代替のための国産化が進んだ様子を、外国人技術者による実験データや、日本に輸入後の実験データを分析しながち明らかにした。 また、『歴史評論』に掲載される論文では、上記のような猪苗代水力電気をめぐる、経営者層の動向を確認した。猪苗代水力電気の設立に尽力したのは、技術的な素養も深かった仙石貢らであった。仙石貢は、みずからアメリカやイギリスを訪れて機械類などの買い付けにあたり、日本にあっては課長会議にまで顔を出して会社を指導するなどしていた。しかし、仙右貢は同時に反桂太郎を標榜する政治活動をしていたため、許認可権限の強い電力業においては不安定要幸となっていた。これを解消したのが、桂太郎と蜜月関係にあった豊川良平であった。豊川良平の仲立ちで仙石貢は桂太郎に接近していき、その上で、猪苗代水力電気は国からの許可が下りていたのである。また豊川は、猪苗代水力電気のライバル企業を模索していた田健治郎を懐柔するためにも尽力した。こうして、225kmもの長距離送電は実現していったのである。 猪苗代水力電気を分析していく中で、同社が、福島県から関東地方への長距離送電の始まりであることに気が付いた。直接的には戦後の凧上げ方式の影響によるものであるが、福島第一原子力発電所が東京電力の営業管内にないてんについては、その詳細を『書斎の窓』の原稿に記した。
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