改革開放以降の中国の社会意識の変化を考える際に、80年代と90年代以降という二つの大きな区切りがあり、人々の意識やその表象に決定的な影響を及ぼすものがそれぞれ「正しさ」の論理と「できる」論理であるという仮説を立てた。そのうえで筆者は『中国青年』雑誌(1978年~2008年)を用い、それぞれの時代において国家・社会が若者へのまなざしが具体的にどのような様相を呈しており、若者がどのような「不安」に直面し、その「不安」に対して社会がどのような「癒し」の論理/文化装置を用意していたかについて考察し、次のようなことを発見した。一つ目は、80年代の若者は、「近代化を達成するための新しい長征」という国家目標が新たに樹立された中で、若者は「青年」と呼ばれ民族と国家の復興を担う存在として収斂されていった。90年代以降に入ってから、若者はそういった政治的な目標から放出され、「ただの若者」となったが、一方、ただちに市場経済システムに相応しい存在として期待され、加熱されていった。二つ目は、「純真で理想主義的」と描かれた80年代においても若者たちは実際に常に立身出世の競争に立たされ、多くの欲望と不安を抱えていた。そのような不安に対応するように社会から用意された「癒し」の論理は民族や国家のために努力することの大事さであったという指導的な立場からの教えであるのに対し、90年以降において市場経済の競争を目の前に抱いている失敗の「不安」に対して、「あなただけではなく、みんなもそう」という同じ背丈からの提示の形式となった。三つ目は、2008年前後以降において、若者への視線にもう一つの変化があった。それは、「頑張っている」若者への注目から、「成功した」若者への注目の変化である。これは、社会階層構造が少しずつ安定化してきており、新たな「成功者」の理想像が樹立されたことを意味するだろう。このように国家・社会による若者へのまなざしという視点から『中国青年』を考察することによって、改革開放以降の30年間における中国の社会変動をより明確に浮き彫りにすることができたと考えられよう。
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