本研究では、(1)戦後改革期における「教育行政」「学校管理」「教育管理」等の概念にかかわって、田中耕太郎の「学校管理」概念およびアメリカ側占領軍文書の翻訳作業・IFEL等の資料検討を通じてeducational administration概念との比較、また地方軍政部文書(とくに愛知県軍政部資料)の検討を通じて学校ガバナンス構造の地域的形態について考察をすすめ、(2)戦後教育改革における「学校ガバナンス構想」の不在性と、(3)その対比としての日本型学校ガバナンスの地域的多様性を検証してきた。このため国会図書館所蔵の都道府県軍政部資料ならびに国立公文書館所蔵資料を活用したほか、アメリカ国立公文書館(NARA)での資料発掘等をおこなった。 これらの知見は、これまで1947年教育基本法第10条を専ら「教育行政」の組織と運営に関する法規定としてのみとらえることにより、学校経営もしくは学校ガバナンスに関する制度論的規定として読みとかれてこなかった「直接責任」理念に対する新たな解釈可能性を見出すことになる。とりわけ教育行政理論としての内外事項区分論を、学校ガバナンス理論として再構築することの論理必然性ならびにそのための方法と視点を提起するものである。 また戦後改革期の学校ガバナンス構想の政策的不在性をこえて、1950年代には日本における特殊な学校ガバナンスが地域的に多様に展開することとなった。1950年代に誕生する「学校づくり」という言葉(概念)があらためて照射されることになる。
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