昨年度の研究において、シュタイナーが重視した色彩、形態、音楽などの身体的な芸術活動と言語はどのように関連しているのか、また、この身体的な芸術活動と言語はどのように共存しうるものなのかという点について、その思想的背景を考察しながら明らかにした。しかし、シュタイナーが重視した身体的な行為と言語による認識とがいかに関連しているのかという問題を十分に検証していなかった。そこで本年度は、シュタイナーが同時代のフリッツ・マウトナーの言語批判への応答として、言語による世界の認識の可能性について言及している点に着目し、マウトナーの言語批判とシュタイナーの言語論の異同を検証しながら、シュタイナーの言語の芸術性と世界の認識のあり方について検討した。 言語と現実世界には何ら連関がないとし、言語からの解放による世界の認識を目指したマウトナーと、言語と現実世界の連関を探究し、言語の再生による世界の認識のあり方を試みたシュタイナーとの違いが明らかとなった。シュタイナーは、言語における芸術性に着目しながら言語と世界の連関を見出すことによって、子ども自身が言語の担い手となって言語の創造性を追体験することを試みた。また、両者は生き生きとした自然の現象を言語でいかに表現するかという矛盾に満ちた問題に直面した。マウトナーが語りえぬものについては語らないとする「沈黙」への要請を求めたのに対して、シュタイナーはゲーテの思想を手がかりに、生き生きとした現象や諸部分の連関が直観のうちに把握される全体を表現する形象的な語りを目指したのである。それゆえに、シュタイナーは、教師自身が自然の中にメタファーなどを用いながら連関を発見していくことを求め、教師自身の知識を芸術的に再構成し、子どもの直観に適したものへと発展させる教材研究を求め、子どもとともに、芸術的行為の過程を共有しながら授業を作っていく必要性を説いたのであった。
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