研究概要 |
1970年代後半から東海地方を中心に日本社会に導入され、さまざまな反応や議論を巻き起こしつつ「定着」・展開していった「個別化・個性化教育」の理念と実践が戦後日本の社会史的・思想史的文脈において有した意義について最終的な知見をとりまとめた。 80年代当時の「個別化・個性化教育」に向けられた同時代的批判、90年代以降に矢継ぎ早に実現した実践レベルに影響を与える教育政策の展開、さらにそうした教育改革の「個性尊重」路線に向けた教育社会学的な批判言説の簇生といった教育論的転回には、注入主義vs,子ども中心主義の振り子の反復というに留まらない国際的な同時代性と日本固有の歴史的文脈との絡み合いが指摘された。 70年代半ば~80年代の国際的な新教育運動の再評価にみられた子どもの「自発性」や「個性」への着目は、国際的な福祉国家の再編・流動化、「自己責任」を強調し自律的個人の主体化を掲げた新自由主義的転回と符丁をあわせた日本での同時代的現象ではあった。だが同時にそれは敗戦直後のコア・カリキュラム運動の人的遺産とのつながりのもとでの受容・展開という面、さらに四六答申までの「教育の計画化」の思想が大衆的規模での進学需要の爆発のもと挫折するなか教育政策が自らの正統性を実践レベルへの介入に見出すといった実践・政策両面での日本固有の歴史的文脈に悼さすものでもあった。 この点は「新自由主義的」改革に批判的スタンスをとる教育社会学の見地からは「格差拡大」の根源として名指された経緯でもあったが、本研究はむしろ政策化=通俗化以前の「個別化・個性化教育」の先駆的理念・実践のコアには、階級文化的にみて「個性重視の文化」から疎遠な社会集団にこそその文化への投企(自己への配慮)を促す思想的潜勢力があったことを見出すと同時に、その背景に実践開発を担った中核的実践者が学生時代に吸った「大学紛争」の時代の思想・経験への省察があった可能性を指摘した。
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