平成21年度においては、資料の収集を進めるとともに、昭和40年代における漢文教育思潮の状況について、二つの観点から検討を行い、学会報告を行った。 一点目は、「訓読」という現象について当該の時代範囲の中でどのような種類の言説が見られたかについての調査・考察である。調査の結果、昭和40年代において、「訓読」の「ゆれ」をめぐって、その解消を主張する言説と解消を否定する言説との対立状況が存在し、その背景に教育観の基盤の根本的な違いを見出すことができた。「訓読」を「翻訳」に近付けるのか、「文語文法」に近付けるのか、そのまま「保存」するのかという違いは、それぞれの漢文教育論を背景として主張され、理論的な決着などがみられずに現在まで至っている。 二点目は、江連隆という教育主体に焦点を絞り、実践者でもあり研究者であった江連が昭和30年から昭和40年前半の時代背景を元にどのような漢文教育論が展開されたかの検討・考察である。教育の系統化を背景とする時代にあって、江連は漢文教育の系統化を主張し、プログラム学習などの知見を援用した漢文教育論を提唱していることが明らかとなった。一方で、江連の漢文教育論には漢文教育固有の目標観が欠けており、昭和40年代後半においては、漢文教育固有の目標観を見出すことが江連の漢文教育論の課題となったのではないかという仮説を立てることができた。 昭和40年代の漢文教育論の展開については、史的展開として検討する論考がなく、各実践者・教育者の主観的な記憶に依拠している状況である。本研究はその過程に位置付くものであり、引き続き、言説史および個体史の観点から、現在に至る漢文教育の史的展開がどのようになされたのかを検討する必要がある。
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