有機分子の骨格を形作る炭素-炭素σ結合は強固で安定である。π電子共役系と比べるとσ電子系では電子物性への影響はほとんど研究されてこなかった。これは、σ電子系とπ電子系とのエネルギー差が大きく、直接の相互作用は重要でないと見なされていたからである。しかしσ電子系も分子の電子構造を考える上では無視できないことは明らかである。特に高度に歪んだ炭素-炭素σ結合は高いエネルギー準位をもつので、隣接するπ電子系と強く相互作用することができる。一般に「σ-π共役」として知られる効果である。 σドナー性置換基であるシリル基には、高歪みσ結合を安定化する効果がある。これを利用して我々は様々なアリール基の置換したテトラヘドラン誘導体を合成した。この分子はテトラヘドラン骨格にsp^2炭素原子が結合した初めての化合物であり、また紫外可視光領域に強い吸収帯を有するテトラヘドラン誘導体でもある。電気陰性な置換基を導入したにもかかわらず、空気中加熱条件化(>373K)でも安定であった。これは3つのシリル置換基のσ供与性の効果に加えて、テトラヘドランのエネルギーレベルの上昇した骨格炭素σ軌道とペンタフルオロフェニル基のπ軌道との間に「σ-π共役」が発現し、安定化していると考えられる。ペンタフルオロフェニル基を導入したテトラヘドランに光照射したところ、速やかに原子価異性体であるシクロブタジエンへと光異性化することを見出した。シクロブタジエンの分子構造はX線結晶構造解析により決定し、シクロブタジエン環は結合交替のある長方形構造であることが明らかになった。一方、溶液中のNMRスペクトルでは対称なシグナルが観測されるので、結合交替は非常に速く起こっていることが確認された。
|