本研究は、寛政度内裏の造営日記に基づいてその設計過程を検討し、絵図と文献資料を分析することにより、寛政度内裏を中心に、近世内裏の空間的特質を生活と儀式の視点から明らかにすることを目的としている。本年度の研究は、初年度なので、主に写真資料や文献の収集に努め、それらを使いやすい形で整理し、分析を行うことにした。資料収集では、近世内裏の儀式に関する文献、建築指図、絵画資料などを収集した。具体的には、宮内庁書陵部、東京都立中央図書館、中井家に所蔵されている資料を検索して、必要な史料の抽出を行い、原本確認を行った。指図の整理と分析は全体の8割まで進捗し、古文書の分析を進めている。本年度は、天皇が父母の服喪の際に籠られるために設けられた「倚廬」に関する資料を分析し、近世における倚廬の空間や変遷が明らかになった。すなわち、近世における倚廬は、内裏の小御所または御学問所に設営され、宝永年間以降は御学問所に一定した。宝永年間以降の倚廬は、倚廬殿上、仮殿上、御湯殿・御厨で構成されていた。倚廬殿上は、御学問所の東列の上段、中段、下段の3室のうち中段と下段に設営された。両室は、建具を外して筵が掛けられ、長押の表面に竹を張り、上段の欄間彫刻は包み隠された。床は、畳を撤去して板間とし、そのうち幅2間、長さ4間の床板を切り下げ、御帳台、御座畳、女房候所などが配され猫掻が敷かれた。御座畳の上部に竹を筋違いに掛け渡して天井が設けられた。また、畳や簾には鈍色の縁がつけられるなど、質素な空間が演出されていた。仮殿上は、御学問所の東庭に、梁間2間、桁行4間、平面は北面が壁、その他三方は明け放しで、屋根は東西方向に棟を配した薄柿葺きの切妻屋根の形式で設営され、床は拭板の上に畳と台盤が配された。御湯殿と御厨は、御学問所の北部に階段を設けて設営された。
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