平成21年度は、台湾の戦前絵葉書や写真、写真帖などの資料収集と資料整理に多くの時間が割かれた。また、関西絵葉書研究会に参加し、資料収集と同時に情報収集も行った。 2月には台湾調査を行い、台湾文献館で日本統治時代の台湾総督府公文書を閲覧し入手した。また台北において本研究にかかわる文献収集を行った。 3月には第37回FYCS研究会において「ベンジャミン・セオール号について-日・雅交流史の一面-」と題する発表を行った。これは日露戦争間近の1903年10月、シンガポールから上海に向け航行中の米国船ベンジャミン・セオール号が、台湾南沖合で台風に遭い、遭難した事件を扱ったものである。このとき、船員の一部は台湾南端の鵞鑾鼻や先住民ヤミの人々の住む蘭嶼(当時:紅頭嶼)に漂着し、他の乗組員は蘭嶼附近で溺死した。米国は生存者の証言から溺死の原因をヤミの人々による強奪と判断し、翌年1月、日本は米国との関係のなかで蘭嶼への討伐隊派遣を決定し、3集落を捜索、10名を逮捕、武器を押収し、家屋13戸を焼き払った。本発表では、当時の記録資料をもとに事件の経緯を時系列的に整理し、その全容を浮かび上がらせた。そこではベンジャミン・セオール号はもとより、多くの定期船、軍艦の写真、さらに当時の地図なども示し、当時の海上交通について触れた。また、台湾が日本に統治された1895年からベンジャミン・セオール号事件が起こる1903年10月までの日本と蘭嶼との関係についてもまとめ、警察派出所の設置経緯などを明らかにした。また、1897年3月に行われた第1次蘭嶼調査で撮影された写真を紹介し、鳥居龍蔵以前からカメラによる写真撮影が調査でおこなわれていたことを示した。これらは、ヤミの共同体によって維持されていた生活環境が、近代国家に組み入れられることでどのような影響を受け、変容することになったか、土着性と近代性との関係を明らかにするための準備的な研究発表となった。
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