多くの病原細菌は感染を成立、持続させるために様々な生存戦略を備えている。細胞内侵入細菌である赤痢菌は宿主の様々な生体防御機構に感知され、激しい炎症を引き起こす。この宿主による過度の炎症反応は菌を排除する方向へと働くため、赤痢菌の感染持続を困難にする。しかし、赤痢菌はこのような宿主免疫応答による攻撃を看過するのではなく、菌の有するIII型分泌装置より分泌される一群の病原因子(エフェクター)の働きにより、それらを回避、抑制するといった生存戦略を備えている。赤痢菌のエフェクターの一つであるIpaH9.8は、炎症反応の中心的な役割を担う転写因子NF-κBの活性化に必須なIKKγ/NEMOタンパクを標的とし、宿主の炎症反応を抑制する。IpaH9.8は、攻撃目標となる宿主タンパク質を標識するためのE3ユビキチンリガーゼ活性を有しており、このE3ユビキチンリガーゼ活性によりNEMOをユビキチン化修飾する。ユビキチン修飾されたNEMOは、宿主細胞のプロテアソームタンパク分解装置により分解される。この結果、NF-κBの活性化が抑制され、赤痢菌感染に対抗するための免疫応答が一時的に失われる菌はこの間に腸管上皮内で増殖する。このIpaH9.8による応答制作用は、マウスを用いた動物感染実験においても証明された。IpaH9.8タンパクのE3ユビキチンリガーゼ活性依存的に、赤痢菌感染に伴うNF-κB依存的な炎症反応が抑制され、定着菌数の著しい増加が認められた。一方、IpaH9.8のE3ユビキチンリガーゼ活性変異体を発現する赤痢菌感染においてはNEMOのユビキチン化とタンパク分解は認められず、NF-κB活性化に伴い菌は速やかに排除されていた。これらの結果は侵略者である細菌が宿主による攻撃から自身の身を守る手段として、免疫応答抑制という高度な生存戦略により対抗し、感染を成立させていることを裏付けている。IpaH9.8と類似なタンパク質は、赤痢菌以外にサルモネラを始めとするヒト、動物、魚、植物等の病原菌も有していることから、本病原因子を標的とする創薬は未だ有効で安全なワクチンが存在しない赤痢を始め、上述の病原細菌に対する新たな治療法となる可能性があり、また、IpaH9.8によるNEMOへの作用を通じて新たな免疫抑制剤の開発につながると考えられる。
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