本研究では、初代障害者スポーツ協会会長である葛西嘉資に着目した。葛西の存在は、パラリンピック開催に必要な資源を調達し、官公庁と民間の協力を可能にしたといえる。葛西の影響力は、1964年のパラリンピックの開催とその支援体制の制度化である「障害者スポーツ体制」を生み出した。 葛西の言説には注目すべき点が存在する。それはパラリンピックの開催により、障害者を取り巻く社会的条件整備を目指した点である。つまり障害者スポーツをきっかけとした「社会変革」の志向性である。しかし、この志向は、その後の障害者スポーツには反映されず、パラリンピックの意義とされた社会の変革は実現されなかったのである。
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