昭和基地周辺の陸域生態系は乏しく過去の履歴があまり残っていないため、これまでの環境変動と生態系の変遷との関係を探ることは困難であった。そこで本課題では、これまで代表者らによって得られた知見を踏まえ、南極陸域生態系の発達とその変遷の解明につなげることを目指した。平成21年度前半には、湖底堆積物の処理条件、各種分析機器による最適な測定条件、および植生の分布に関する解析方法の検討を実施した。後半には、第51次日本南極地域観測隊として南極大陸での野外調査を実施し、昭和基地の南に位置する3つの露岩域をベースとして、湖氷上から穴をあけ、もしくはボート上から全23湖沼の観測を実施し、各種湖沼学的データを獲得した。そのうち19湖沼からは各2-10本ずつ20-50cm長の湖底堆積物コア、湖水、および湖沼周辺の雪氷水試料を採取した。採取したコア試料は、現場で鉛直的に1-5cm毎に切断したのち、固形部分と間隙水とに分離し、冷凍保存にて国内に持ち帰った。平成22年度には、国内に持ち帰った湖水・間隙水・周辺雪氷水試料の溶存無機栄養塩類(硝酸、亜硝酸、アンモニア、リン酸、ケイ酸)、溶存無機炭酸の分析を実施した。これらの結果から、湖水の溶存無機窒素(DIN)は0.4-1.1μmol/L、リン酸は0.03-0.26μmol/Lという貧栄養レベルであり、全19湖沼ともに大差ない値にもかからず、湖底表層1cm中の間隙水のDINは1.6-208.0μmol/L、リン酸は0.11-4.70μmol/Lであり、湖底植生中には湖水の約2.5-220倍もの栄養塩が存在する事や、湖沼間で大幅な違いがあることが明らかとなった。また、湖底内の栄養塩の鉛直プロファイルの結果から、湖底表層において光合成生物が湖底内部から供給される栄養塩を利用していることが示唆された。現在までに、湖底堆積物中の間隙水が採取されたことはなく、また、その栄養塩類の実態を明らかにしたのは本研究が世界で初めての例である。南極大陸上の大部分を占める貧栄養湖沼ではシアノバクテリアが優占しており、これらが持つ空中窒素固定能による窒素源がこの貧栄養生態系において重要であることが、これまでは一般的なシナリオとされてきた。しかしながら、本研究結果によって、湖底内に貯蓄された栄養塩類を光合成生物が利用できていること、湖沼によってその貯蓄量が大幅に異なる事からも、生態系の発達によって群集の構造・機能が大きく変遷してきている可能性が示唆された。
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