本研究の目的は、「コダヤ的なものの言語態:フロイト、レヴィナス、デリダ」という主題のもと、タイプの異なる三人のユダヤ人に焦点をあてながら、彼らの思想に秘められたユダヤ性を考察することにある。 本年度は、まず第一に、後代のユダヤ人思想家の反応を考慮に入れた上で、フロイトの『モーセと一神教』そのものを読み直し、次いで第二に、以上の考察を踏まえて、フロイトの説に対するレヴィナスとデリダの反応を整理し、彼らの議論を比較検討した。 第一点に関しては、論文「留保された未来-フロイトと偉大な男たち」を執筆した。この論文では、フロイトがモーセに比肩しうる「偉大な男」の例として「ゲーテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ベートーヴェン」という三人の芸術家の名をあげている点に着目し、その意味を考察した。フロイトは音楽という分野にはとくに明るくはなかったはずであるのに、ベートーヴェンという名をあげた理由は一体どこにあるのか、この問いに答えるべく試みつつ、そもそもフロイトにとって「モーセという男」がいかなる存在であるのかを検討した。結論としては、フロイトの思考にはロマン・ロランという友人から示唆を受けた痕跡があり、これが彼をして「母なるもの」に眼差しを向けさせたことを明らかにした。 第二点に関しては、「ジャック・デリダのおかげで(ジャック・デリダに感謝)」と題されたブランショの論考を補助線とし、フロイトの説に対するレヴィナスとデリダの思考の差異を考察した。その結果、モーセをエジプト人とみなすフロイトの説にレヴィナスもブランショも否定的な見解を示している一方、モーセが殺されたとする説にデリダは肯定的な見解を示しており、これら一連の議論をより明確に整理する必要があることが理解された。この理解は、来年度に研究を継続していくなかで、重要な手がかりとなるだろう。
|