近代ヨーロッパで構築された身体的特徴に基づく人種論がアフリカ大陸の諸民族にも適用された結果、アフリカの中央部の大湖地方において「優秀なコーカソイドであるハム」が「能力の劣る原住民」を征服して王国を創始したとする「ハム仮説」が生まれた。ルワンダ大虐殺の要因として世界的に注目を集めたハム仮説であるが、その成立過程には未解明の問題が少なくない。 19世紀前半から20世紀前半にかけてヨーロッパ人がハム系民族と分類した数多くの北東アフリカの民族の中で、ハム仮説の成立に大きな影響を与えたのがエチオピアのオロモ(ガッラ)と呼ばれる民族である。そして初めてオロモと大湖地方の王国群の形成を結びつけ、ハム仮説の提唱者と称されているのが、英国人探検家スピークであった。 平成22年度は、19世紀前半から20世紀前半にかけてヨーロッパで刊行された人種論に関する文献の内容を分析した。この作業とともに、スピークが人種論に基づいた大湖地方の王国形成論を構想するに至った要因を解明するため、彼が踏査したウガンダおよびタンザニアにおいてフィールド調査を実施した。そしてこれらの作業の結果得られた知見を基にして、スピークが大湖地方の諸王国の形成とオロモとの関連を主張するに至った経緯について検討を行った。 以上の研究によって得られた成果について、日本アフリカ学会第47回学術大会(2010年5月29日)、日本オリエント学会第52回大会(2010年11月7日)、第5回帝国史研究会(2011年3月30日)において発表した。これらの発表を基にした論考を準備しており、学術雑誌において公表する予定である。
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