申請者は、本研究において、近世後期の代表的な江戸歌舞伎役者七代目市川団十郎<寛政3年(1791)4月~安政6年(1859)3月>を取り巻く観客・贔屓の実態の解明に努めた。まず、七代目の代表的贔屓連「三升連」の存在形態を示す狂歌集の内『團十郎七世嫡孫』、『江戸紫贔屓鉢巻』の内容の検討、宿屋飯盛率いる狂歌集団「五側」が市川家と由縁の深い成田山に寄進した狂歌の扁額など、七代目の支援形態を中心に分析を進めた。七代目の贔屓は、江戸に限らず、北は会津若松から南は長崎に至るまで確認され、職業は様々である。狂歌連では武士も町人も役者も藩主でさえもペンネームを用いることで狂歌師に変身を遂げる。そうすることによって、江戸幕府の身分制支配秩序を超越し、七代目を支援するという同一目的を持った新たな社会の成立がみてとれ、七代目の支援基盤の構造が明確になった。
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