従来の日本語教育史研究の領域では、教科書や政策文書の分析を中心に研究が行われてきたが、教育の受け手である学習者個々の経験やその意味づけは十分には取り上げられてこなかった。本研究では、解放後の韓国において日本語教育が再開された1960-70年代に日本語を学び始めた学習者のライフストーリーに着目し、旧宗主国のことばである日本語への葛藤と受容のプロセスを明らかにすることを目的とした。 平成22年度は、既に1度インタビューを終えた協力者に、再度インタビューを実施し、データの分析から、以下のことが明らかとなった。 1.協力者たちの多くは、「なぜ日本語なんかを勉強するのか」と周囲から奇異の目で見られるなどの「日本語に対する評価の低さ」を感じ、日本語学習への後ろめたさを感じていたこと。 2.1に加え、教材不足・人材不足といった「教育環境の不整備」といった状況に不満をもち、日本語学習そのものに興味を失いかけていた学習者も相当数いたこと。 3.しかしながら、そうした状況に対して、それぞれが日本語を学ぶことの独自の意味を見出し、学習を維持しようとするプロセスがあったこと。 協力者を紹介してもらう過程で、当時日本語教育に携わっていた人々からも語りを聞く機会があった。そこで、解放前に日本語を学んだ教師や、在日コリアンとして生まれ育った在韓日本語教師にも並行してインタビューを実施した。特に、在日コリアン教師は、「母語」として身につけた日本語に対する評価の低さから、複雑な思いを抱きながら教育に携わっており、学習者たちが感じ取っていた韓国社会における日本語への緊張感や、教育状況を裏付ける語りを聞くことができた。 本研究を通して、解放後の韓国社会で日本語を外国語として学んだ一世代目の複雑な経験や想いを歴史の資料の一つとして残すことができたことには大きな意義があると考える。学習者の視点から日本語教育史の一端を描写することができたと思われる。
|