初年度では、形成期(1951~1957)の分析を中心に進めた。第一に、日本政府が中国政府不承認の方針を米国に約した吉田書翰(1951年12月24日付)の形成と、日華平和条約の交渉過程を再検討した論文を刊行した(雑誌論文『近きにありて』)。同論文は、先行研究で看過されてきた吉田首相と外務省事務当局との方針の相違に着目した。その結果、吉田首相と外務省事務当局との間の潜在的な意見対立が、日華平和条約交渉において、一見して相矛盾した政府方針が生じる要因となった点を指摘した。 第二に、国府との関係維持と中国との国交樹立の両立を図る「二つの中国」論の起源が、鳩山一郎政権にある点を明らかにした。1953年以後の緊張緩和の局面において、日本政府内で初めて台湾問題の打開に向けた具体的構想が検討されはじめたことを明らかにした(国際政治学会報告)。 第三に、1950年代と並行して、1960年代後半の佐藤政権期の対台湾政策についての研究を進め、自民党親台湾派と外務省との台湾問題に対するアプローチに違いがある点を指摘する研究報告を行った(台湾学会報告)。最後に研究と並行して史料調査インタビューを実施し、外務省外交史料館並びに1960年代の外交政策形成に関わった外交官・政治家に対するインタビューを実施した。 本年度の研究を通じて、1950年代における台湾問題に対する日本政府の中国政策の変化について多くが明らかにされたといえる。また研究の総まとめとなる次年度に向けての、必要な史料や証言を得ることができた。
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