まず年度前期には、江戸時代の刑事裁判における裁判規範としての判例の機能分化過程に関する研究を行った。具体的には、重要な幕府直轄地のひとつであった摂津郡神戸村関係の法制・裁判史料を調査して、これまで明らかにしてきたところの幕府におけるプラクティスの伝播状況を実証的に追跡した。この作業は当時の刑事法制の実態に複眼的な視野を与え、本研究の土台を固めるに寄与した。また、青木家や佐久間家等、江戸時代末期の実務経験者が残した記録を精査し、これらの記録関連の写本が明治期以降にも複数作成・参照されていたことを確認した。これは当該記録が明治以降の制度設計上にも影響を与えていた証左になりうる手掛かりであり、本来予定していた「岡松参太郎文書」が漸く勤務先に納入され、利用可能になった次年度は、引き続き岡松甕谷も対象として詰めることとなろう。 他方、明治政府において甕谷も編纂に携わった「仮刑律」等の新刑法典は、中国から受容した律に依拠するものであるが、こうした法継受のあり方を、本研究においてひとつの重要な比較軸として立体的に分析するために、前近代において、いわゆる本土地域以上に律の直接的な影響を受けたとされながら研究蓄積のきわめて少ない琉球の法制度、とりわけ成文法典である琉球科律の研究を行った。この作業のために、琉球史研究者との対話や現地での史料調査を実施した結果、近代になってからこの地域で実施された旧慣習調査資料を始めとする基本的な史料状況を把握し、幾つかの視座を得ることができた。これについては近日脱稿予定の論文で公表するが、この地域からは当初予期していた以上に多くの成果が見込まれるため、次年度も引き続いてもう少し取り組む予定である。
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