平成21年10月から平成22年3月まで、主に国立国会図書館憲政資料室及び米国スタンフォード大学フーバー研究所で資料調査を実施した。まず、憲政資料室で占領期におけるGHQ/SCAPの資料を中心に調査し、新たに公衆衛生福祉局の行政組織構造およびさ乳幼児死亡率低下や伝染病予防のための対策について資料を収集した、平成22年3月には、フーバー研究所に所蔵されている公衆衛生福祉局長のサムス准将についての17箱にもおよぶ公文書や個人の書簡を調査した。本研究調査にとって重要な公文書の一つは、1951年1月22日付けの米国国防省宛ての書簡であり、占領終了時期が近くなり、サムス准将は、特にロックフェラー氏に、占領期終了後の日本における公衆衛生福祉諮問委員会の設置について会議を実施するようにと記している。更に、以前にロックフェラー公文書館での調査においてロックフェラー財団国際保健部のオリバー・マッコイ医師を公衆衛生福祉局に配属させたことを記した文書の存在を鑑みると、政府(GHQ/SCAP)と財団(ロックフェラー財団)との連携が強いことが明らかである。特に医療保健制度においては、官民の連携が重要であることが明らかである。 第2点目に、占領期の医療保険制度へのサムス准将の考え方がひとつの書簡の中に記されている。1973年5月24日のTOSHIO TAHARAに宛てた書簡の中に、当時米国内では、英国の制度に類似した強制国民健康保険構築に向けた動きがあり、社会保障派遣団が来日した際に、日本で同様な医療保険制度をまず実施し、米国の模範的な先例となるようにということをサムス准将に伝えていることが記されている。日本では、サムス准将の考えに基づき、国民皆保険制度が実施された一方で、米国内では、現在と同様に1946年から50年の間でも、米国医師会では強制国民保険の実施についてはとても強い抵抗があり、終わりのない強制国民保険への抵抗の存在が記されている。
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