本研究の目的は、これまであまり注目されてこなかったジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)内部史料の総合的研究を通じて、ジョチ・ウルス史の再構築をはかることにある。ジョチ・ウルス史は現在の中央アジア世界を理解するうえでも極めて重要な研究分野であるが、遊牧政権は文字史料をあまり残さなかったため、これまでの研究は外部史料などの断片的な記述に依拠せざるをえなかった。しかし、およそ16世紀頃から、ジョチ・ウルスの継承政権内部において諸史料が著されるようになる。これらの「ジョチ・ウルス内部史料」は、外部史料にはない多くの独自情報を含んでおり、ジョチ・ウルス史研究において非常に重要な価値を持つものである。 こうした「ジョチ・ウルス内部史料」の総合的研究の第一歩として、17世紀初頭にカーディル・アリー・ベグによって著され、モスクワ大公国の庇護下にあったカシモフ・ハン国の君主のオラズ・ムハンマドに献呈された『集史』の総合的研究を行った。本史料の利用環境は良好ではなかったが、平成18年度の奨励研究により、ロシアのカザン写本を現地調査し、加えて、パリ写本、ロンドン写本との比較検討などの基礎的研究を行った。そして今回、最初期の写本であるサンクト・ペテルブルク写本の現地調査を行い、他の諸写本との比較検討をすることができた。その過程において、本史料の編纂過程や執筆意図、著者の歴史認識をより明らかにすることもできた。今後の課題としては、今回の成果を発表するとともに、校訂テクストおよび訳註を作成したいと考えている。これらの作業によって、はじめて本史料を本格的にジョチ・ウルス史研究に導入することが可能となるであろう。そして、この研究を皮切りとして、他の内部史料の総合的研究を進め、ジョチ・ウルス史の再構築をはかりたいと考えている。
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