当研究は、出土鉄製品に対して世界的に行なわれている有機溶剤を用いる保存処理方法から脱却するために、糖の一種であるトレハロースを用いる安全で安定性の高い保存処理方法を研究・実用化することを目的に掲げ、研究、実施し、事例を蓄積してきた。 当年度は思いがけず実資料への実施の機会に恵まれたため、その保存処理実務と実作業上得られるデータからの研究に注力することとした。対象は新潟県長岡市寺泊港から引き揚げられた順動丸の鉄製シャフト(長岡市指定文化財、軸部径30cm、長さ4m、外輪円盤部径1.4m)2点である。実作業は、脱塩処理を2023年10月13日から開始、同年12月1日からトレハロース含浸処理を行い翌年1月18日に完了した。保存処理開始に先立って当該資料表面から脱落した錆塊に対して蛍光X線分析をを行ったところ、外側表面よりも内側表面から高濃度の塩素(Cl)、硫黄(S)を検出した。また、脱塩処理段階の溶液を採取し、その塩化物イオン・硫酸イオンの測定を行い脱塩の効果を確認したが、完全に抜ききることはできていない。しかし、これまでの研究では、他の保存処理方法に見られる塩化物イオン・硫酸イオンに起因すると思われる二次的な劣化は、トレハロース法の場合確認されていない。つまり、二次劣化の要因となる海水成分が残留していても安定した状態を保っているのである。順動丸シャフトについても同様の効果が見込まれることから、今後、温湿度環境の把握・調整と、処理後の状態の観察を継続する。 当研究課題の大きな目的は従来行われてきた出土鉄製文化財の保存処理方法の見直しにある。有機溶剤と合成樹脂を使う含浸・強化処理や、大型品に対して大量の薬品と長期間を必要とする脱塩処理などから、人や環境に負荷をかけない材料、方法への転換である。今回の順動丸シャフトの保存処理は,その達成に向けて大きな一歩を踏み出したと言える。
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