研究実績の概要 |
生命の根幹とも言える細胞膜を隔てた物質不均衡分布は、主としてカチオンの能動輸送体(イオンポンプ)として知られるP型ATPaseファミリーによって作り出される。この中で、100万倍のH+濃度勾配を作り出す胃プロトンポンプ ・アポトーシスに関与するリン脂質フリッパーゼATP11C・これら2つのユニークなポンプの作動機構解明を目指して研究を推進している。 プロトンポンプはH+:K+ = 1:1の輸送を行うが、近縁のナトリウムポンプはNa+:K+ = 3:2の起電的な輸送を仲介する。我々は、本来であれば胃プロトンポンプに1つだけしか結合できないK+を、2つ結合できるように改変した変異体を作製することによって、K+結合化学量論を司る因子を理解することを計画した。段階的な変異導入と構造機能解析を繰り返すことで、最終的に5つの変異導入(2つは直接的にK+の配位に関与し、2つは間接的に影響、1つは分子全体のコンフォメーションを調節する変異)によって、K+が2つ結合した変異体を得る事に成功した(Abe et al., 2021, Nat Commun)。また、プロトンポンプを出発点として、3つのNa+と2つのK+を輸送することが出来るナトリウムポンプ様の変異体を作製した。こちらは合計4つの変異導入によって改変に成功し、電気生理学的解析や構造解析によってこれを証明した(Young et al., 2022, Nat Commun)。これらの結果は、構造に基づいた論理的なでデザインによって輸送基質の種類/個数を改変した初めての例である。 また、胃酸抑制剤を含むプロトンポンプとその阻害剤との複合体構造を複数解析し、これらの化合物のポテンシャルなファーマコフォアを同定することに成功した(Tanaka et al., 2022, J Med Chem)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ATP加水分解によって生じる限られた自由エネルギーを駆動力として100万倍のH+濃度勾配を達成するためには、一度に輸送されるイオンが1つずつでなければエネルギー収支の辻褄が合わない。この仮説は、自身の研究によって、1つだけK+が結合したH+,K+-ATPaseの構造を決定することで証明した(Yamamoto et al., 2019, eLife)。一方で、アミノ酸の同一性が60%程度である近縁のナトリウムポンプ(Na+,K+-ATPase)には2つのK+が結合する。この違いを理解する為に、K+を2つ結合できるGain-of-function変異体をデザインし、Na+,K+-とH+,K+-ATPaseの輸送化学量論を演繹的に考察することで、輸送化学量論を決定付ける必要十分条件を明らかにした(Abe et al., 2021, Nat Commun.)。 ナトリウムポンプの起電的輸送(3Na+/2K+)とは対照的に、胃プロトンポンプ(1H+/1K+)に起電性は無い。過去の報告によれば、胃プロトンポンプと同様に起電性の無い輸送を仲介するアイソフォーム、non-gastricプロトンポンプにおいて、Lys791に相当する部位への変異導入が起電的な輸送を引き起こすことが報告されている(Burney et al., 2008, JBC)。この現象を説明するためには、non-gastricプロトンポンプの構造解析、及び変異体を含めた包括的な構造機能の理解が必要である。世界初となるnon-gastricプロトンポンプの結晶構造を報告し、そのカチオン結合サイトの構造から胃プロトンポンプとは異なる緩やかなH+濃度勾配を形成する分子基盤を得た(Young et al., 2022, Nat Commun)。
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今後の研究の推進方策 |
物質不均衡分布の担い手として脂質フリッパーゼも重要な研究対象である。我々は既に、ATP11Cの脂質膜存在下での構造解析に成功しているが、(Nakanishi et al., 2022, JBC)、脂質中でのapo stateの構造解析を進めている。精製標品を輸送基質であるPSと共にナノディスクに再構成することで、脂質大過剰の状態を作り出す。これによって、反応サイクルによれば、逆反応によって、PSが細胞膜内葉から輸送サイトへ逆流するような状態を模倣することにより、未だ明確ではない脂質フリッパーゼの輸送経路の完全な同定を試みる。また、ATP11Cの基質特異性を改変させた変異体について、様々なリン酸アナログとの構造機能解析を行うことで、基質認識の分子メカニズムについて明らかにしていく。
カチオン輸送体に関して、濃度勾配に逆らった輸送機構を理解する為に、死海に生息する川エビのナトリウムポンプの構造機能解析を進めている。
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