研究課題
古くから今日に至るまで疲労研究は心療内科学、栄養学、感染学、免疫学、脳神経科学など様々な視点から行われてきた。その甲斐あって疲労を科学的に評価する方法は確立されつつあり、血中の酸化ストレス度や唾液中のヘルペスウイルス数などは疲労の指標となっている。また以前には信じられていた学説も訂正されつつある。例えば、無酸素運動時に筋肉組織中で生じる乳酸は疲労を生じさせると考えられていたが、現在では否定されている。その一方で未だに疲労の実態を理解することはできておらず、誰しもが感じる疲労の発生/回復メカニズムはあまり分かっていない。その大きな理由として疲労研究における分子および細胞生物学的な取り組みが弱いからだと考えている。前述の背景および問題を踏まえ、本研究では疲労が生じる際や疲労が回復する際のカラダの仕組みを分子生物学および細胞生物学のレベルで解明することに目標を定めている。特に細胞ストレス応答や炎症反応で機能する分子や細胞の働きと疲労との関連性に着眼して研究を進めている。細胞ストレス応答や炎症反応は生体内で生じる異常からカラダを守るために生き物が有する防御反応であり、疲労と密接な関係にあっても不思議ではない。また重要なのは、この研究から明らかになることが単に基礎的な生命科学へ貢献するだけでなく、疲労が生む社会問題(健康障害から事故・自殺に至るまで)に対する解決への新たな糸口になる可能性を十分に含んでいることである。
2: おおむね順調に進展している
本研究では対象生物としてマウスを採用している。そのマウスへの疲労負荷では強制水泳や浸水飼育などの処置が施されることが多い。しかしながら、これらの処置は実際のところ負荷が大きすぎて疲労というよりも恐怖体験や体温低下の影響が心配される。その心配を避けるために前述の睡眠障害ケージを利用しているが、回転カゴ内での過ごし方はマウスに委ねられているので睡眠不足の程度はケージ毎にバラつく。そこで現在までに回転カゴにタイマー駆動装置を取り付けて不眠時間を研究者が設定できるよう実験系の改善を行ってきた。具体的には以下の2点に取り組んだ。1つは睡眠障害実験の前に予め小型プローブをマウス体内に埋め込み、実験期間中ずっと生体シグナルをテレメトリーに測定できる機器の導入である。もう1つは睡眠障害処置の後に行う持久的運動能力を評価できるトレッドミルの導入である。前者について近年では高性能なものが入手可能で脳波や自律神経系の活動などを測定でき、睡眠/覚醒の時間動態や交感/副交感神経のバランス変化などを評価した。後者についてはトレッドミルの上を走るマウスがベルトの速度についていけなくなる様子を体温感知センサーで捉えることのできる実験器具を独自に作成した。開発途中にセンサーからの信号を回収するソフトウェアで幾つか不具合が見つかったが、早急に改善できてマウスの持久的運動能力を評価できるようになった。
前述の実験系を用いて、独自に開発した4種類(ERAI、UMAI、OKD48、およびIDOL)の遺伝子組換えマウスの利用から疲労による細胞ストレス応答や炎症反応への影響を解析する実験へ進む。これらのマウスは異なるストレスや炎症刺激に応答して発光する性質を持ち、その発光を検出できる装置を利用すれば、マウスを生かしたままで特定の分子が「いつ」「どこで」活性化するのか調べられる。使用するマウスは8~12週齢の雌雄8匹ずつと考えている。また疲労負荷期間は1週間とし、馴化期間も1週間とする。したがって1回の実験には2週間を要することになる。睡眠障害ケージについては1回の実験で4台を稼働させる予定なので、全ての実験を完了させるのに単純計算で64週以上もの時間を必要とするが有益なデータが得られると信じて地道に計画を進める。この実験によって「細胞ストレスや炎症」と「疲労」の関連性を検証する。また生体イメージングや遺伝子改変マウスの解析では捉えきれない分子の動きに迫るためマルチオミックス解析も計画している。疲労負荷実験の最終日には血液採取および臓器摘出を予定しており、それらのサンプルからトランスクリプトーム、プロテオーム、およびメタボローム解析を行い、疲労に伴う生体反応の全体的な分子動態について理解を深める。
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