研究課題/領域番号 |
21H03764
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
尾本 章 九州大学, 芸術工学研究院, 教授 (00233619)
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研究分担者 |
長津 結一郎 九州大学, 芸術工学研究院, 助教 (00709751)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 音場再現 / 音場伝送 / 障碍者アート |
研究実績の概要 |
本研究課題全体の中での最初のフェーズとして,工学的なデザインの継続と社会的なデザインの充実を試みた。 工学的な検討については,音場の規模感の表現能力を向上させるために,これまでと比較して小型の再生システムの構築を行った。結果として,音質の良さとともに可搬性を有することで,有効性が高いシステムを構築することができた。また規模感の再現に関しては,基礎的な実験を通して,単独で有効な信号処理手法の特定は難しいことが明らかになった。なお,聴取者からスピーカまでの距離が短い小規模なシステムであれば,遅延や残響の付加,さらに周波数特性の変更などの操作で大規模な空間まで再現することが可能であるが,距離の大きなシステムでは小規模な空間の雰囲気を再現することが困難であることが明らかになった。両耳におけるレベル差,時間差,位相関係などを厳密に再現すれば良いと推察されるが,受音点の固定化に繋がり,ロバストなシステムの実現が難しい。引き続き適切な規模に関する実践的な検討を行う予定である。 社会的な検討に関しては,近隣自治体の運営するホール,更に民間設備関係企業との連携で,音場の響きの再生を伴う遠隔演劇を実施した。身体に障害を持つ演者が,遠隔地において共同で一つの演目を創りあげるものであり,電話回線を用いて映像と複数チャンネルの音声を伝送して相互通信を行い,さらに別会場では双方を同時に鑑賞する形式の試みである。特に音場に関しては,演者に近い場所で収録したドライな音を伝送し,受信側において類似規模のホールの響きを畳み込んで複数チャンネルのスピーカにて再生する方式を実施した。響きとして十分な量が確保でき,演出に応じて調整も可能であることを確認した。また必要最低限な音のみの伝送であるため,通信への負荷も小さいことも確認できた。 現在,この取組の社会的なインパクトや効果についても検討を行っている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
工学的な検討に関して,当初の計画では音場の収録を行うマイクロホンアレイに関しても小型のものを製作することを想定していたが,調査したところ音質や性能が十分な機材が現存しないこと,さらに既存のシステムを活用しても目的を達成できると判断したことなどから,これを実施していない。この点を除いては,順調に進行している。 特に再生システムに関しては,パッシブで良い音質の機材を用いた24チャンネルシステムを構築することができた。小型のスピーカを用いているため,全体的にコンパクトであり,様々な場所へ移動して設置することも容易である。従来から用いている,一本の柱にスピーカを3通りの高さに固定する方式であるが,独自の形状,取り付け方法を検討し,非常に使い勝手の良いシステムを構築することができた。今後様々な場所へ移動させながら活用したい。 社会的な検討に関しては,劇場・音楽堂の実践的有効活用を学ぶ大学院の授業と関連させて,アウトリーチの可能性などを模索した。具体的な素材として,近隣自治体や民間企業との連携において音場再生のエッセンスを導入した公演を実施する形式を試みた。通信技術も取り入れた遠隔での演劇公演であり,音に関しては必要最低限の情報を伝送して,再生側で簡易的に原音場における反射音の方向情報を再現する方法を提案して,実施することができた。 特別なハードウェアを必要とせず,たとえば8チャンネルまでの音であれば映像信号にエンベッドの上伝送可能であり,それらの音に適切な響きを畳み込めば,これまでにない規模の残響を提供できる可能性を明らかにした。さらに響きの程度や種類に関しても自由度が増すため,原音場に限定せず,様々な場の再現が可能である。 システムを構築して,様々なデモンストレーションを通して徐々に方法論を確立してきたが,様々なリクエストに応えることもでき,拡張性の高い方法が得られたと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
工学的なシステム構築に関しては,再生の方法論も含めてほぼ完了している。そのため,主として社会的な活用に関しての検討・考察を進めて,拡張的な福祉工学の確立を目指したいと考えている。具体的な課題として,音場再生システムの模擬難聴への適用や,劇場親子室における適した再生手法などを想定している。 模擬難聴に関しては,やはり難易度が高く,本来個人的なものであるべき難聴の度合いを,スピーカを用いて再現する意義もさらに検討する余地がある。方向別の聞こえにくさの探究など,より直感的かつ実践的な課題を設定しつつ,検討を継続したいと考えている。 一方,親子室の再生環境構築に関してはアイデアも明確にしやすく,さらに実験的な検討も行いやすい。一般的に,親子室では前面がガラス張りであり,その方向に音源を設置することはできない。そのため,周りに配置するスピーカを用いて仮想的な音像を作り出す必要があるが,この効果をできるだけ多くの受聴者に提供できる様な工夫が必要になる。同位相で駆動するスピーカを並べたラインアレイ形式のスピーカを導入するなどの実験的な検討も含め,様々な観点からの検討を行いたい。また,親子室に求められる性能,機能に関する社会的調査なども併せて行う。 福祉工学に貢献するさらなる課題の探索も継続する。もともと最終的なフェーズにおいて取り組む課題の例として,「障害がある方が取り組む音楽・演劇などの表現活動に,音や音場を使った演出を用いること で生じる効果の検証や,新しい表現活動の可能性の模索」を考えていた。一部昨年度の取り組みとして実現したが,この振り返りと改善点の抽出などを通して,さらなる可能性を探る。 難しい課題であると認識しているが,「音による気配の再現」にも取り組みたい。通常の臨場感をさらに向上させるための課題とも考えられるが,視覚障害者への情報提供に活きる内容である。
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