当研究では、イスラム史上初の年代記と評価されてきたタバリーの年代記『諸預言者と諸王の歴史』とその情報源として唯一現存する『バグダードの書』を比較分析した。『バグダードの書』はタバリーの年代記の情報源であるが歴史叙述作品ではなく、詩人や詩の情報を多く含む文学作品あるいはバグダードの地方史として分類されてきた。 両作品が執筆された9-10世紀のアッバース朝では法学・神学・系譜学・文法学などの諸学が隆盛して多種多様な作品が数多く執筆された。その中からタバリーの年代記によって歴史叙述のスタイルが確立されたと従来の研究では指摘されている。『バグダードの書』はアッバース朝初期から西暦916年までを網羅していたが、その多くは散逸しており、現存部分は7代カリフ・マアムーンの在位中の13年ほどである。当研究では、『バグダードの書』現存部分とタバリーの年代記の該当部分の比較分析を終えて、『バグダードの書』が「支配者の物語」を描くのに対して、タバリーが「アッバース朝カリフ政権の解体までの経緯」を描いていることを明らかにした。 またタバリーの年代記と『バグダードの書』の歴史的評価を調査して、タバリーの年代記がどの時代からムスリム知識人にとっての「ムスリム共同体の正当な歴史」と認識されてきたのかを分析した。その結果、12世紀には、タバリーの年代記がイスラーム法学者や文人政治家の間では、「イスラーム共同体の歴史」として評価されていたことを明らかにした。
|