○研究目的 幕末維新期の政局において、日本全体に関わる課題解決のための国事周旋活動に従事した諸藩周旋方(しゅうせんがた)=“藩外交官”の交流関係の実態について分析する。そのことを通じて、今後の明治維新研究に際して指標となるべき人物の特定に有意義な情報を提供する。 ○研究方法 各地の史料館に所蔵される周旋方の古文書調査・解読を行い、周旋方を設置した藩名および周旋方を務めた藩士の人名・人数等の抽出作業を実施した。さらに刊行されている史料集からも同種の情報収集と分析に努めた。 ○研究成果 その結果、新たに約10種類の諸藩周旋方名簿を確認できたことは大きな成果だった。これにより①藩名・人名・人数については、50藩以上が確認できたことに加え、諸藩周旋方が京都で開催した会合参加者氏名が初めて判明した(20藩合計50名など)。②時期については約6年間(文久3年(1863)~明治2年(1869))にわたり確認できた。幕末期の周旋方経験者で、明治政府が諸藩の意見を聴取するために設けた貢士・公議人を務めるなど、連続して活動していた人物が複数判明したことは重要な情報と評価できる。さらに明治時代の旧大名家による維新史編纂事業にも関与するなど広範な活動が展開されていた。③活動場所については、幕末政治の展開に対応して、江戸・京都・大坂のみならず、内戦(長州征伐)の前線基地にあたる広島や福岡にも諸藩の周旋活動従事者が集合していたことがある程度判明した。以上から、幕末期には江戸・京都・大坂・広島・福岡において周旋方がそれぞれ同時並行で活動を展開していたと指摘できた。これまでの研究では薩摩藩士西郷隆盛や大久保利通などの著名人物に関心が集中する傾向があったことを考えると、幕末期に展開された諸藩周旋方の活動が、広範で重層的だった点を明らかにできたことが、本研究の大きな成果といえる。
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