研究課題/領域番号 |
21H04367
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研究機関 | 東亜大学 |
研究代表者 |
黄 暁芬 東亜大学, 人間科学部, 教授 (20330722)
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研究分担者 |
森下 章司 大手前大学, 総合文化学部, 教授 (00210162)
佐川 英治 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (00343286)
高橋 照彦 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 教授 (10249906)
向井 佑介 京都大学, 人文科学研究所, 准教授 (50452298)
諫早 直人 京都府立大学, 文学部, 准教授 (80599423)
吉井 秀夫 京都大学, 文学研究科, 教授 (90252410)
會下 和宏 島根大学, 学術研究院人文社会科学系, 教授 (90263508)
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研究期間 (年度) |
2021-04-05 – 2026-03-31
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キーワード | 東南アジア都市史 / 漢~六朝・隋唐時代 / 交趾郡治・ルイロウ遺跡 / 漢式城郭と版築技術 / 交趾文化 / 文化の伝播と変容 / ベトナム古陶磁の生産と流通 / 南海交易都市:交趾・林邑・扶南 |
研究実績の概要 |
本年度の科研調査活動はまず、第6-7次交趾郡治・ルイロウ発掘を実施し交趾築城の構造と時代区分を解明し、予想以上の新知見が得られ、同年秋ベトナム考古学会第57回大会に黄が招請され発表した。本プロジェクト主催の国際学術シンポジウムⅡ『東アジア都市文明の考古学研究』で日・中・越三か国の研究者14名を招請し有意義な議論を重ねて古代東アジア都市文明論に新たな光を当てた。 交趾都市発掘の新知見:①第6次ルイロウ外城北壁の発掘では、版築技法を用いた壁造り(掘込地業+砂や土を層ごとに搗き固めた版築城壁)が判明し、それは中国の伝統的な土木技術の系譜に連なる。また外城西壁T13の発掘からは、唐代および李・陳朝の増築時の構築土を検出し、宋・金期の貨幣埋納、18世紀前後にあたる瓦磚窯も検出した。②第7次発掘では外城西壁/西門遺構が見つかり、その内外両面は磚積みだった。③出土遺構・遺物の総合的考察を通して、ルイロウ外城の初現は南朝期で、内・外城からなる二重城郭をもつ交趾都市の空間構造は5世紀頃に成立したのが判明し、従来の年代観を覆した。③ルイロウ外城の発掘では版築土層ごとに動物骨・炭化物・陶磁器や五銖銭の埋納が多量に見つかり、交趾都市の築城工事に伴う祭祀行為と推定できる。④ルイロウ築城のⅣ期区分と「交趾」出土遺物の多様性を実証的に解明した。この国際色豊かな地域文化を「交趾文化」と定義し、交趾都市建設における社会文化の発展と変遷過程を具体的に解き明かしてきた。 以上、政治・宗教的色彩の濃い城壁造りに用いられた版築、磚積みの壁作りという中国土木技術は南朝期に伝来し、当時の東アジア情勢との連動が窺える。7世紀、唐代「安南都護府」の政庁中枢を現在の首都ハノイ市へ移転した後も、ルイロウ城は港湾都市としての宗教信仰・文化交流・生産交易が中近世まで発展、繁栄しつづけていたことが判明した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本研究は、紅河デルタに残る帝国南縁都市「交趾」ルイロウ城の発掘を主軸に漢唐都城と周縁都市の比較研究を推進している。 【発掘と検証】ルイロウ城第6次(2022.03-05)、第7次(2022.11-12)発掘では予想以上の調査成果が得られた。①ルイロウ築城のⅣ期区分と交趾都市の三段階変遷プロセスを再検証・解明した。漢に設置された交趾郡治・ルイロウは城壁を造らず、城門と城濠だけで、三国呉に土塁/濠を築造した。南朝にルイロウ城を拡大し、版築技法を用いた外城壁造りで初めて内・外城の二重構造をもつ大城郭となった。②出土遺物の型式分類と編年研究が進み、外来と在地文化との融合、文化の伝播と受容・変容の実態を物語る一方、南縁地域文化の多様性が見受けられる。筆者はこの国際色豊かな地域文化を「交趾文化」と定義し、その文化様相の伝承と変容に関する実証的研究は、今も遺構・遺物の三次元画像分析を通して調査と研究を継続している。③唐によって「安南都護府」の政治中枢がハノイへ移転してから、ルイロウ城は改築と城内の整地で城郭規模を縮小したものの、港湾都市として宗教信仰・経済生産・交易・文化交流が中近世まで栄えつづけていた。 【国際共同研究】①ベトナム国家歴史博物館が日越協定調査の成果報告会を2回企画・開催した(a-2022.05、b-2022.12)。②ベトナム考古学会第57回大会からの招請を受けて黄暁芬が「交趾文化の研究」を発表した(2022.11.24ハノイ)。③黄暁芬編著の学術書『古代東アジア都市の構造と変遷』2022.12同成社出版・刊行した。④本プロジェクトによる国際学術シンポジウムⅡ『東アジア都市文明の考古学研究』を企画・開催し、日/中/越の都市文明研究者14名を招請・発表した。視聴者数は日・中・越・韓その他、300名に超えた(2023.01.27-28)
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今後の研究の推進方策 |
本研究は周縁地域都市の視点から中華帝国の興亡と東アジア地域文化と歴史的変遷の実態を具体的に捉えるために、漢唐帝都と周縁の郡県都市遺跡の調査実施を推進している。これまでベトナム北部にある交趾郡治・ルイロウ遺跡の発掘調査は7年連続で実施し、東アジア史上に謎の多い交趾都市に対する理解と認知は従来説を覆したことが相次ぎ、漢~六朝・隋唐帝国南縁の拠点都市である交趾都市の実態を具体的に検証・解明したうえ、三段階の変遷プロセスについて明白に把握するようになった。今後、この国際協力関係と調査研究の実績を推進・発展させる一方、事業展開の新たな目標は、下記の通り: 1)交趾都市発掘で出土した多種多様な遺物の編年研究を継続し、とりわけルイロウ城建設の瓦磚建材や交趾古陶磁(舶来品/在地製品)の様相、またその産業技術、生産・流通システムの正体を明らかにし、漢唐時代の南海交易の実体を探り、他地域との文化交流の実像を描き出すことで、漢~六朝・隋唐帝国南縁地域における都市文明社会の発展過程を解明する。 2)ルイロウ発掘からみた交趾古陶磁の様式や生産技術は中国文明の色彩が強い。それに対して、ベトナム中南部の港湾都市林邑・扶南国都オケオの発掘で出土した遺物は、在地のチャンバ文化がインド文明の強い影響を受けながらも漢式の陶磁器や古代ローマの文化要素を見出せる。発掘調査で出土したベトナム古陶磁の比較研究を通して、古代都市間の流通関係を探究する。 以上の目標達成するため、ベトナム社科院都城研究所と新たな日越協定調査を交わし、対象遺跡の発掘調査と3D考古学の方法論でベトナム古代都市から出土した陶磁器の生産と流通の様相を調査・復元することに取り組む。交趾・林邑・扶南を代表とした古代東南アジア都市文明の発展・変遷を縦断的に比較し、技術や文化の伝播と受容の実態を具体的に解き明かそうとする。
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備考 |
本科研プロジェクトの課題調査と国際共同研究に関する事業活動や研究成果などの情報公開、また国際共同調査活動、国際学術シンポジウムの企画・開催案内、資料紹介を掲載しています。
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