まずは、身分関係訴訟の管轄権をめぐる、国民的司法体制を代表する国民裁判所と伝統的なシャリーア裁判所、そして自治的裁判権が認められていた各非ムスリム宗教共同体の法廷との間の紛争や調整の実態を、法令集や判決資料集を用いて分析した。「国民国家エジプト」を志向し統一的司法の実現を望む者にとっては、多元的な司法権は制御しにくく厄介だった。しかし、近代エジプトは、多元的な司法権を法的に整備した後に国家の主導下で統一化していくという道をスムーズに進むことができなかった。その一因としてシャリーア的枠組みの「多元的社会エジプト」を残そうとする価値観が近代エジプトの基底にあったことを明らかにした。その成果の一部は、イスラーム地域研究・若手研究者の会で発表した。 次に、国民主権を基に成立した国会の登場が、政治と宗教の関係をどう変化させていったのかを明らかにする研究を行った。1923年に近代憲法が制定され翌年に国会が始動して以降、国会で議論の対象となった近代エジプトにおける政治と宗教に係わる問題の一つに、どの政治主体が、イスラーム諸学を修めた知識人、すなわちウラマーに権力を及ぼすことができるのかをめぐる問題があった。その問題を考察事例に、非王党派を中心とする国会勢力と国王・王党派との間で、イスラームは政治・公権力にとり重要であるという共通了解の下で宗教をめぐる権力の適切な調整が図られていったことを明らかにした。その成果は論文として来年度に発表されることが決まっている。 昨年末から今年の始まりにかけて、コロナ禍で中断していた主に新聞・雑誌資料の調査・収集をエジプトで再開した。その目的はある程度は達成できた。 以上より、1920年代・30年代の国民国形成期を中心に、近代エジプトの政教関係の一端を明らかにする研究を順調に進展させることができたと思われる。
|