前年度に引き続き、関連資料の目録化、閲覧等を行った。二次文献については希望通りの利用が概ねできている。問題となったのは一次史料で、前年度の見込みに反し、一部がEarly English Books Onlineに収録されていることが明らかとなった。だが同データベースの利用は報告者の環境的に厳しく、また国立国会図書館を介すると多くの時間と料金を要するため、研究へ即時的に反映させることは不可能であった。その他の稀覯書についても、バーゼル大学図書館やロッテルダム図書館での調査を企画していたが、新型コロナウイルス等の影響で断念した。 上述の制約の下、①カステリオン思想の全体像の把握、②カステリオン思想における「寛容」の意義の検討、③カステリオンが「寛容」を重視した意図の検討、④カステリオンの教育史への位置づけ、の観点から、彼による仏訳聖書を主題とする論文を当該年度中に公開した。生前、カステリオンはその類まれな語学力をもって聖書翻訳に取り組み、羅訳と仏訳を完成させている。前者が西欧各地で10回以上、対する後者は3回のみの再版であることから、先行研究における関心は主として前者に向けられてきた。しかし分析の結果、構成、文章表現、語彙に至るまで、この仏訳聖書には学識に乏しい平信徒を教化・教導するという意図が看取でき、教育的意義を持つことが明らかとなった。ここから前の①、④について検討することが可能である。さらに翻訳における語彙を詳細に分析したところ、カステリオンの代名詞ともいうべき「寛容」には12種の訳語があてられる一方で、今日よく用いられるtoleranceは一切登場しないことが判明した。寛容の思想史展開に鑑みると、これはカステリオンが16世紀の軛から完全に脱することができていないことの証左であり、前の全ての観点に重要な示唆を与えるとともに、従来のカステリオン像の再考すら迫るものといえる。
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