研究課題
今年度は、本研究の課題となっている人口倫理について主に三つの点から研究を進めた。第一に、その基礎となっている福利の合算の問題について検討を進めた。人口倫理の多くの文献では、人口を構成する各構成員の一生における福利の水準あるいは総量が確定的に与えられるかのような書き方がなされることが多いが、実際にはこうした水準や総量がどのように決まるのか・そもそもそうした事実はあるのか、といった問いは哲学的難問として存在している。申請者は、福利の加算性を前提したうえで、各個人・各個体の生全体の福利の水準や総量は、各時点の福利の水準や総量の関数であるという趣旨の立場を暫定的に擁護し、こうした原子論的な立場に対する批判を退ける論稿を執筆した。第二に、そもそも福利を含む価値というものの本性がどのようなものなのかという論点について、その概念を理由や合理性や適合性といった規範的な概念で分析しようとする非自然主義的な立場を検討して退ける発表を行った。これによって、人口の福利を構成する各構成員の福利を経験的に測定することの原理的な可能性を擁護した。第三に、人口倫理の応用的な側面においては、未来の人口に対する被害を予防するということが焦点になるわけだが、この予防の倫理という話題に関して、本年度に公刊された児玉聡氏の『予防の倫理学――事故・病気・犯罪・災害の対策を哲学する――』(ミネルヴァ書房)を検討し、理論的かつ実際的な提言を行った。
3: やや遅れている
人口における福利の価値の比較評価においては、各構成員の福利、構成員の数のほかに、構成員の同一性が関係しうる。ある人口の福利の価値の方が別の人口の福利の価値より勝っているとしたら、それは誰か同一の個人・個体にとって前者の状態の方が後者の状態よりもよいからだ、という発想はかなり広い支持を得ている。しかしこの発想を前提すると、二つの人口において同一の個人・個体が存在しないならば、片方の人口が他方の人口より福利の価値において勝っていると言えなくなってしまう。申請者はこの発想を哲学的に検討しようと企図したが、先行研究を読み進めた結果、論者によってこの発想に関する直観が様々で、明白に対立するものも多くみられることがわかってきた。そのため、広く行われているような直観に基づく形の議論によっては、適切に決着がつけられないと考えるようになった。この結果、どのような方法論によってこの検討を行うのかという根本的な問題に直面することになり、課題遂行に妨げが出ている。
ある人口の福利の価値の方が別の人口の福利の価値より勝っているとしたら、それは誰か同一の個人・個体にとって前者の状態の方が後者の状態よりもよいからだ、という発想について、既存の文献における議論のサーベイを進める。また、この論題について立場を表明している論者たちを招いて、その見解と論拠、それから立論の方法論に関して意見を聞く機会を持つ。加えて、死の哲学や反出生主義や不当な出産wrongful birth・不当な生wrongful birthの論争などといった分野の議論を参照して、そこで理論の優越がどのような仕方で検討されているのかを調べる。上の発想自体は人口倫理だけで重要な訳ではなく、こうした他の規範倫理の文脈でも前提されたり吟味されたりしているものであるため、この様な領域横断的な視野をもつことも有意義だと考えるからである。これらのことをした上で、どのような議論を用いれば一定の客観性をもってこの発想に白黒をつけることができるのか、方法論的な観点から反省し、議論を進める方途を見定めるつもりである。
海外の学会で研究発表する機会を2024年度に回したために、その分の経費が次年度使用額として生じることになった。次年度(2024年度)にローマで開催される世界哲学会議(World Congress of Philosophy)において発表することが決まっているため、その海外出張旅費として使用する予定である。
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豊田工業大学ディスカッション・ペーパー
巻: 31 ページ: 24-41
10.60327/ttidiscussionpaper.31.0_24
アルケー 関西哲学会年報
巻: 31 ページ: 17-30