研究課題/領域番号 |
21K00072
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研究機関 | 国立歴史民俗博物館 |
研究代表者 |
下村 育世 国立歴史民俗博物館, 大学共同利用機関等の部局等, 外来研究員 (00723173)
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研究分担者 |
岡田 正彦 天理大学, 人間学部, 教授 (00309519)
林 淳 愛知学院大学, 文学部, 教授 (90156456)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 陰陽道 / 仏暦 / 梵暦運動 / 仏教天文学 / 明治改暦 / 太陽暦 / 神社神道 / 陰陽師 |
研究実績の概要 |
2023年9月の日本宗教学会第82回学術大会では、「明治改暦150 年に近代日本を問う」と題するパネルを林淳を代表者として企画し、本科研メンバー全員が登壇した。林は「貞享改暦と明治改暦」、岡田正彦は「明治改暦と近代仏教」、報告者は「明治改暦と近代の暦の機能」の発表を行った。 また林と報告者は、国立歴史民俗博物館・企画展「陰陽師とは何者か」(2023年10月3日~12月10日)に展示プロジェクト委員として参画、図録『陰陽師とは何者か』(小さ子社、2023年10月)を執筆し、歴博フォーラム「陰陽師と暦」に登壇した。林は「渋川春海の貞享改暦」、報告者は「明治改暦」のタイトルで講演を行った。 個々の成果として、林は、貞享暦の暦注に関する成果を『国立歴史民俗博物館研究報告』に「暦注と貞享暦」にまとめて発表した(2024年3月)。また4月6日に第113回指導神職研修会で貞享改暦と明治改暦の関係について講演した。9月に札幌に出張し、北大図書館所蔵の菊池重賢文書(菊池は札幌神社の宮司であり教導職)を閲覧、撮影した。岡田は、6月には、天理大学公開講座「人文学へのいざない」の第4回として、一般市民を対象に「忘れられた仏教天文学――19世紀の日本における仏教世界像」と題する講座も担当し、仏教天文学について講演を行った。2024年3月には、国立国会図書館所蔵の仏暦・梵暦関係文献の閲覧と複写等の調査を行なった。報告者は、日本儒教学会が企画した「暦と王権」のシンポジウムで(5月)、「明治改暦の背景と影響」とする講演を行った。その加筆版を「明治改暦をめぐる葛藤--『正朔』思想の日本的展開」にまとめて『日本儒教学会報』第8号(2024年3月)に発表した。また『国立歴史民俗博物館研究報告』に「神宮大麻に附して授与された暦」と「吉川家年表(近代)」を発表した(2024年3月)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2023年は「明治改暦150年」という節目の年であったため、各方面でかかるテーマの催しが開催された。日本宗教学会第82回学術大会でのパネル発表もその流れに位置づけられるもので、本科研のメンバーで企画したものである。科研メンバーの他に、中牧弘允(国立民博)が「新暦の〝超"宗教化、七曜表の〝脱"宗教化」と題する発表を行い、遠藤潤(國學院)がコメンテーターとして登壇した。林は太陽暦受容は貞享改暦の時点において既に胚胎していたことを暦注の移り変わりから論じた。岡田は仏教者であり教導職の釈雲照による学校教育における西洋天文学・地動説への批判と仏教の宇宙論の擁護について考察した。中牧は明治改暦後の暦面に掲載された「七曜」や祝祭日からキリスト教色の払拭と神社神道の「超」宗教的な改革を読み解いた。報告者は改暦後に掲載され始めた神社の例祭日について、それらの日取りの治定や改定と暦面掲載の方法から、近代の暦に新たに付与された「公告」機能について論じた。 既に述べたように、林と報告者は、国立歴史民俗博物館の企画展「陰陽師とは何者か」に展示プロジェクト委員として参画し、図録『陰陽師とは何者か』執筆にも共に関わった。近世までの暦の研究は、科学史家と陰陽道研究者によって牽引されてきたがこれらの研究が交わることはほとんどなかった。しかし今回の図録で林は、陰陽道研究と接続させながら、貞享改暦以降の近世における日本人による西洋天文学受容の思想的展開を展示で表現した。また陰陽道研究においては明治3年の陰陽寮廃止により研究が途絶え、以降の暦についても考察されることがなくなる傾向があるが、陰陽道研究からも科学史研究からも手薄だった近代以降の暦の歴史的展開について紹介できた。
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今後の研究の推進方策 |
2022年末あたりからコロナ禍による混乱が落ち着きを見せ始め、史料の収集や発掘のための宿泊を伴う調査旅行や、各種の研究機関とのやり取り、また本科研メンバーと対面で研究会を開催することができるようになるなど、研究を支えるうえで必要な活動を積極的に行えるようになってきた。本科研の初年・次年度の史料調査などの研究活動の低迷・停滞を取り戻す必要がある。 今年度は「明治改暦150年」にまつわるイベントが多く、改暦について考える機会が多かった。当該期の多くの一般の人々にとって太陽暦の採用は理解に苦しむところであった一方、各地から新政府に出された暦にかかる建議のほとんどは、決して太陽暦の採用に反対しておらず、むしろ推進していたことが、報告者のこれまでの研究でわかっている。各地域の知識人レベルにおいて太陽暦の長所は広く理解されていたことが推測される。 幕末には、西洋天文学(地球説、地動説など)が日本に伝わっており、日本人の伝統的な天文観・宇宙論と強い摩擦と葛藤を生じさせていた。天文学にかかる思想や暦論が、国学者(本居宣長、平田篤胤)、仏教関係者(円通)、儒者(山片蟠桃)、洋学者(司馬紅漢)などによって盛んに展開されたのはそのためである。太陽暦の受容とその思想形成のありようを精査することは、幕末の日本における西洋天文学や太陽暦の受容が、一部の天文学者に限らず、多様な人々にも広がっていく様を理解する一助になろう。また貞享改暦から明治改暦への展開を思想史的に読み解く作業も同時に必要となろう。
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次年度使用額が生じた理由 |
2020年から続いた新型コロナウイルスの流行にともない、本研究の主たる方法である史料調査などの研究活動の低迷・停滞が初年度と次年度のほぼ二年間続いた。新規宿泊を伴う遠方での調査や入構禁止となっている他大学図書館での史料調査などは難しい状況にあったため、それらの出張に伴う旅費などの使用ができなくなった。毎年翌年に研究費の繰り越しを行っていたため、現在も残額が生じている。 次年度には、学会も対面開催、調査などにも出かけられるようになってきたため各地の史料調査に出かけ、研究課題を遂行できるようにしたい。
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