研究課題/領域番号 |
21K00126
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研究機関 | 国立音楽大学 |
研究代表者 |
神部 智 国立音楽大学, 音楽学部, 教授 (20334005)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | アドルノ / シベリウス批判 / ナチス / 作品受容 / コンテクスト |
研究実績の概要 |
ドイツのユダヤ系哲学者テオドール・W.アドルノは1938年に出版した「シベリウス注釈」という論評において、シベリウスの音楽を厳しく批判している。この論評にはナチスに追われてアメリカに亡命せざるを得なかった当時のアドルノの音楽観や歴史観が反映しているが、そこに政治的な意図を見出すこともできる。「シベリウス注釈」がドイツ語圏やフランスのシベリウス受容に何らかの影響を与えた可能性は否定できない。 アドルノの音楽論は作曲家や作品研究であると同時に、より幅広い枠組み、すなわち人間の文化、芸術の歴史、そして社会的パラダイムの解明でもある。これらの枠組みの背後に潜んでいる特定の世界観やイデオロギーは、作曲家がそれを意識するか否かにかかわらず、個々の音楽的事象の内部に顕現しているからである。逆に言うなら、音楽作品を内在的に論ずることで、その作品を成立せしめた社会それ自体の枠組みを批判的に浮き彫りにすることができる。 一方、アドルノのシベリウス批判の問題点として指摘されるのは、ドイツ音楽中心主義、「新音楽」と「伝統的な規範」の対立図式、フィンランドの文化、社会、歴史的コンテクストの軽視、シベリウス作品の不適切な分析である。「シベリウス注釈」は主にドイツ、イギリス、アメリカの社会的背景と、ドイツ語圏の音楽、中でもアドルノが擁護する新音楽との関係を通して省察された異色のシベリウス論である。そこに大きく欠けているシベリウスへの本質的理解、例えばその音楽の根底に存在している「フィンランド的なもの」に関する問題などは今後、詳細な楽曲分析を通して多角的かつ実証的に明らかにされていくべきだろう。その責務を担うのは20世紀末以降、世界的に大きな広がりを見せているシベリウス研究の分野である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
音楽作品に対する評価は、作曲家の芸術的意図、表現手法の独自性や先進性などの観点から一義的に行われるわけではない。それは後の人々による新たな意味や価値の発見とともに、その都度問われ続けるものである。歴史の審判を受けつつ、一つの音楽作品は様々な角度から見直され、時にはこれまでと全く違う捉え方をされるようになる。それに伴い、作品像や作曲家像も変化をしていく。 本研究では、20世紀音楽の論考において影響力のあったアドルノによるシベリウス批判の問題点を明確にしたことで、シベリウスの音楽の評価が大きく分かれている理由の一端を明確にすることができた。
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今後の研究の推進方策 |
1930年代のイギリスでは、音楽評論家・作曲家のセシル・グレイや作曲家コンスタント・ランバートがシベリウスの音楽の革新的側面を積極的に評価し、全く独自のシベリウス像を構築しようとした。彼らはシベリウスが伝統的な音楽語法や形式を拒否することなく、自らの作品に説得力ある形で応用した結果、交響的思考を現代の文脈で力強く蘇らせた点に注目する。 グレイやランバートによるシベリウス評価の背後には、彼らの著書にしばしば登場するフェルッチョ・ブゾーニの思想的影響を指摘することができる。今後の研究においては、音楽史におけるシベリウスの位置づけ、およびブゾーニやイギリス楽界の諸見解を踏まえつつ、シベリウスの芸術的評価をめぐる問題についてアドルノの論考とは別角度から検討する。さらに、ポスト・モダニズムの観点からシベリウスが現代作曲家に与えた影響、彼らがシベリウスのいかなる側面に着目したのかを明らかにしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
新たな研究関連資料の収集を行い、その購入費として最終的に使用する。また、研究のまとめに必要な機材を購入する予定である。
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