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戦時中の映画雑誌からドイツ映画にかんする言説を拾い、日本映画へのその影響について考察した。レニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』(1938)が、宣伝と評価の両面において、特権的な地位を与えられた背景についてさらに掘りさげた。その要因を探るうちに浮かびあがった「文化映画」という概念の重要さ(ドイツ語のKulturfilmの訳語であり、ドイツの伝統あるドキュメンタリーの一ジャンルだが、戦時中の日本において、アメリカ的な「劇映画」に対抗する概念としてもちあげられるようになったという経緯がある)については、1938年から40年にかけて刊行された雑誌「文化映画研究」(2021年復刻、ゆまに書房)を精読した。「文化映画」についての研究は今後も進めていきたい。 一方で、ナチ映画の同時代の受容について、アメリカとスイスの事例に目を向け、日本と比較した。その結果、周縁的な現象として参戦までは鷹揚な態度を保っていた映画大国アメリカ、ほかの国の映画との相対化が可能な状況でナチ・イデオロギーを警戒しつつも多くの作品を公開した映画輸入国スイス、統制下の映画作りのモデルを伝える趣もあった映画国策下の日本、というふうに、ドイツとのそれぞれの関係や自国の映画事情により、当然ながらナチ映画へ向けるまなざしもさまざまであったことをあきらかにすることができた。その成果の一部を日本映画学会のシンポジウムで発表した。 また、ドイツ文学の映画化に関する論集(『ドイツ文学と映画』三修社、2024)に責任編集者として携わった。この論集には戦前に日本で親しまれた文学作品や映画も含まれており、本研究のテーマとも一部かかわりのあるものである。
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